KM-22 相馬野馬追

相馬野馬追の写真

7月、相馬市内ではたくさんの騎馬武者(きばむしゃ)による行列がおこなわれます。
みんなは見たことがあるかな?
この行列は相馬野馬追というお祭りのなかのひとつです。
お祭りは1,000年以上つづいているといわれ、相馬市、南相馬市原町区、南相馬市小高区という広い範囲(はんい)で、4日間かけて盛大(せいだい)におこなわれます。


野馬追の歴史やお祭りのながれをみていきましょう。

野馬追の歴史

野馬追のはじまり

言い伝えでは、相馬氏の祖先(そせん)、平将門(たいらのまさかど)が下総国小金ヶ原(しもふさのくにこがねがはら・現在の千葉県流山市付近)で野馬をはなち、敵(てき)と見立ててこれを追い、武芸(ぶげい)の練習をしたことがはじまりといわれています。

そののち、相馬氏は奥州合戦(おうしゅうかっせん)の褒美(ほうび)としてあたえられた奥州行方郡(おうしゅうなめかたぐん・現在の南相馬市)に住むようになり、野馬追の行事もこの地へ引きつがれました。
そして代々の藩主(はんしゅ)が、武の神(ぶのかみ)「妙見(みょうけん)」への信仰祭礼(しんこうさいれい)のあらわれとして、また北の隣国(りんこく)伊達藩(だてはん)の脅威(きょうい)にそなえた軍事訓練(ぐんじくんれん)、産馬(さんば)の奨励(しょうれい)として伝統(でんとう)を守りつづけてきました。

しかし、時代がかわり、明治5年(めいじ5ねん)に野馬原(のまはら)の野馬がすべてつかまえられ、むかしからの形の野馬追はおわりをつげました。

現在の野馬追

相馬野馬追が復活(ふっかつ)したのは明治11年のことです。

相馬妙見三社(そうまみょうけんさんしゃ)のひとつである太田神社(南相馬市原町区)が中心になって明治政府(めいじせいふ)にはたらきかけました。そして、内務省(ないむしょう)から正式なゆるしをえて、相馬中村神社・太田神社・小高神社の三社合同の野馬追がはじまりました。

それが現在の相馬野馬追の原型(げんけい)となっています。

相馬野馬追は昭和53年5月22日に国の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)の指定(してい)をうけています。

郷の名前と地区

相馬野馬追には5つの郷(ごう)が参加しています。

  • 宇多郷(うだごう):相馬市
  • 北郷(きたごう):南相馬市鹿島区
  • 中郷(なかごう):南相馬市原町区
  • 小高郷(おだかごう):南相馬市小高区
  • 標葉郷(しねはごう):浪江町、大熊町、双葉町

いつ、おこなわれるの?

現在は、毎年7月最後の金曜日から月曜日までの4日間おこなわれています。

  • 金曜日:安全祈願祭(あんぜんきがんさい)
  • 土曜日:第1日 お繰り出し(おくりだし)
  • 日曜日:第2日 甲冑競馬(かっちゅうけいば)、神旗争奪戦(しんきそうだつせん)、お上がり(おあがり)
  • 月曜日:第3日 野馬懸(のまがけ)

行事のながれ

安全祈願祭

明日からの祭りにそなえて、中村藩の総鎮守(そうちんじゅ)である妙見社(みょうけんしゃ・現在の相馬中村神社)で安全祈願祭がおこなわれます。

第1日 お繰り出し

三ノ丸(さんのまる・現在の中村字北町)の相馬家屋敷(そうまけやしき)では、相馬家に代々つたわる赤鎧(あかよろい)を床の間(とこのま)にかざり、お神酒(おみき)をあげます。この鎧は「毘沙門天の鎧(びしゃもんてんのよろい)」とよばれています。

総大将(そうだいしょう)は武家(ぶけ)のしきたりによる三献の儀(さんこんのぎ)で、このお神酒をいただきます。

相馬野馬追のyoutube動画のサムネイル

身支度(みじたく)をととのえた総大将は、迎え(むかえ)の騎馬武者たちに守られて三ノ丸の屋敷から中村神社にむかいます。

神社の境内(けいだい)では、総大将(そうだいしょう)を中心とした宇多郷勢(うたごうぜい)の出陣式(しゅつじんしき)がおこなわれます。

出陣式のあと、大手門(おおてもん)から騎馬行列が繰り出し、市中を一巡(いちじゅん)して南相馬市鹿島区へとむかいます。

身支度を整えた総大将の写真
迎えの騎馬武者たちに守られて三ノ丸の屋敷から中村神社へ向かう様子の写真

総大将と宇多郷勢は、鹿島の北郷勢(きたごうぜい)と合流して、さらに南相馬市原町区へむかいます。
各郷からも南相馬市原町区の雲雀ヶ原(ひばりがはら)に入り、宵乗競馬(よいのりけいば)に参加します。

第2日 行列・甲冑競馬・神旗争奪戦・お上がり

新田川原(にいだかわら)から中郷勢(なかごうぜい)を先頭に、小高郷、標葉郷(しねはごう)、宇多郷、北郷の順で行列は祭場地(さいじょうち)の雲雀ヶ原にむかいます。
総大将は、途中(とちゅう)にある本町の仮本陣(かりほんじん)で各郷の行列を閲兵(えっぺい)したあと、宇多郷の行列にくわわります。

雲雀ヶ原では、むかしの野馬追にならって甲冑競馬(かっちゅうけいば)や神旗争奪戦(しんきそうだつせん)がおこなわれます。

宇多郷勢は、争奪戦の半ば(なかば)で下山し、帰路(きろ)につきます。
そして馬場野でお上がりの行列をととのえ、中村神社へもどります。
 

(注意)閲兵:軍隊(ぐんたい)を整列させ、司令官(しれいかん)などが検閲(けんえつ)をすること

小高神社境内での野馬懸の様子の写真1
小高神社境内での野馬懸の様子の写真2

第3日 野馬懸

小高神社境内(けいだい)で野馬懸(のまがけ)がおこなわれます。
野馬懸は、お小人といわれる白装束(しろしょうぞく)の男が神馬(しんめ)をつかまえ、神前に奉納(ほうのう)する行事です。


野馬懸がおわると、相馬野馬追の行事はすべて終了となります。

この記事に関するお問い合わせ先
商工観光課 観光物産係

〒976-0042
福島県相馬市中村北町55-1
電話番号:0244-26-4848
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更新日:2020年01月14日