メールマガジンNo.290(2015年3月31日号)東部再起の会

去る3月26日。相馬市で最後の災害公営住宅建設となる北高野住宅団地(通称荒田地区)の落成式が行われた。
これで計画した410世帯分がすべて完成した。内訳は井戸端長屋5棟58世帯分、若夫婦向けアパート形式4棟36世帯分、そして一戸建てが316棟。今後は仮設住宅からのスムーズな引越しを、移行プログラムに添って進めていくことになる。公営住宅のほかに自力で自宅を新築する被災者のための分譲地の区画も造成したので、宅地開発は9箇所、総面積にして30ヘクタール余りとなった。一部の公園・集会所や外構工事が残っているが、概ねの住宅建設を孤独死0のうちに、26年度中に終えることが出来た。
ハード事業については、松川浦地区に漁業組合の荷捌き施設と本部事務所、磯部地区に建設中の水産加工工場、16漁業者分の漁労倉庫、新しい市役所庁舎、地盤沈下対策のポンプ場、次の震災に備えての避難道路や橋梁など、此れからもまだまだ続くが、苦労して高台に用地を求め造成し、災害公営住宅となる生活の拠点が完成したことには感無量だった。

震災の翌朝、一晩中の対策会議と緊急対応の後に消防団長らと被災地に向かった私が見た光景は、人生観が変わるほどの驚愕と悲壮感以外の何物でもなかった。自分の生家は流されてどこにも見当たらず、弟夫婦の生存すらわからない。呆然と一面の瓦礫の原に立ちつくし、私はこの現実にどうやって対処したらよいのか?
目の前の瓦礫の原だけではない、避難所には4500人の被災者がいる、次の犠牲者を出さずに生活再建を図る方法などあるのだろうか?
気がついたら、私の背中につかまって声を出して泣いている人がいた。「原釜が無くなった。醤油屋が無くなった」。私を案じてくれるその親戚の人に向かって「大丈夫だ。何とかするからもう泣かないでくれ」。反射的にそう言って、団長たちと被災現場を後にした。

あれから4年。

私を絶望の淵に陥れた大量のガレキは、放射能汚染による除染枝葉も含めてすべて焼却することが出来た。相馬市のガレキは放射能汚染の問題があり、最初は手を付ける事も許可されなかったが、相馬市民の理解により仮設焼却炉を比較的早く建設出来たし、木質ガレキや除染有機物を地元集落の人々の線量測定協力によりセシウムの非・排出を確認しながら無事焼却し終わった。
もうひとつの重要課題は住宅の再建だが、次の津波に備えての高台移転は容易なことではなかった。被災者が希望する候補地はおしなべて面積が狭く、また地主の数が多いため土地の買収は絶望と思われた。海岸部よりも少し奥に入る刈敷田地区と細田地区は、大地主の方が震災復興に理解を示してくれたため比較的早期に造成計画に着手出来たが、海岸部から近い高台地点である南ノ入地区と荒田地区は畑や林が混在し、それぞれの地権者が100筆を超えていた。しかし沿岸漁業を主産業とする原釜・尾浜地区の被災住民たちは漁港から遠くには行きたくないという。

そんなある日。原釜・尾浜地区の被災住民たちが連判状を持って市長室にやってきた。「東部再起の会」という団体を作り、私に地域再生のための住宅建設を急げと言うのだ。メンバーは私が子供のころから見知った人たちである。幼なじみもいるし、親せきもいるし、私の家が檀家になっている寺の坊さんまでがいる。「冗談じゃない。俺の家も流された。連判状に名前を書きたいのはこっちの方だ!」。そう思った私は、この人たちと私の願いが同じなら、なにも一緒になってやれば良いのではないか?と気がついた。
高台移転の適地と思われる南ノ入、荒田地区の合計約200筆の地権者を前に、相馬市役所の力ではとても買い切れないと思われていたが、東部再起の会の機動力は驚くばかりだった。地縁・血縁を探し当て、地権者の自宅に団体で押し掛け、集団拝み倒し波状攻撃作戦に出たのだ。地元と縁のある地権者は何回も来られるうちに、最後は情にほだされてしまう。役所の紋切り型の交渉とは決定力がまるで違った。中には相続人が全国にちらばり地元では完結出来ない交渉もあったが、こちらは市役所が受け持った。
東部再起の会が用地買収に協力し始めてから2年後の2013年、我われはやっと南ノ入地区と荒田地区の造成工事に着手することが出来た。ふたつ合わせて約80戸の住宅と、自力再建のための分譲地40区画を整備する立派な住宅団地である。我が家も先祖代々原釜に居住したのだからという88歳になる父の意向で、荒田地区の分譲地を購入することにした。

もしも、東部再起の会の地元の人々の協力が無かったら、刈敷田地区や細田地区の住宅の面積を細分化するか、集合住宅を増やさなければならなかった。相馬市では将来、出来るだけ多くの公営住宅入居者に土地ごと払い下げをする計画で意向調査と入居予定調整を進めてきた。やはり自分の財産にしてもらったほうが生活再建の役に立つと考えたからである。行政としても、将来の市長さんに410戸もの市営住宅を管理させるよりは、入居者が自分の持ち家として、今回苦労して造った住宅を大切にしてもらいたい。

復興事業はまだまだ続く。特にソフト事業については産業再生、放射能対策、子ども達のPTSD対策など気を緩めることは許されない。
しかしこの度の災害公営住宅全戸完成は、子ども時代からの同朋たちと一緒に一つの山を越えた、ささやかな喜びだった。
落成式では、東部再起の会の役員26人に私の自筆の感謝状を手渡しさせてもらった。一人ひとり握手を交わし大きな声で名前を読み上げた。そして27番目に名前を呼ばれる人がいるとしたら、それは私である。

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更新日:2019年08月20日