メールマガジンNo.279(2013年3月18日号)FIFAフットボールセンター整備にあたり

平成15年のこと。

全部で500ヘクタールにもなる工業団地光陽地区のうち、6号バイパスの西側にある115ヘクタールの未造成の用地を、計画中断により当時の中小企業基盤整備機構が売却するという方針が発表された。

さっそく産廃業者が動き出したので、「産廃処分場にされて首都圏のごみを持ち込まれてたまるか!」と思い、ねばって13億円までまけてもらい、20年の延払いで購入した。

当時は極めて厳しい財政状態だったが、地域の将来を思い決断した。

2キロ先は、私が育った原釜の漁師たちの豊穣の海だったからである。

そのうち15ヘクタールは、既に火力発電所が排出する石炭灰で埋まっていたが、残りの窪地の容積460万立方メートルぶんの石炭灰を、相馬市が産業廃棄物処分業の許可を取り、処理費用をいただいて埋め立てて行くことにした。

その後、既に埋立て済みだった15ヘクタールの土地利用を図るため、ともに東日本最大規模となる9コースのパークゴルフ場と4面が使えるソフトボール場を整備した。

両方とも愛好者が中心となったNPOが結成され、相馬市の委託を受けて管理されている。

平成21年6月。

石炭灰の埋め立てが進んで新たに利用可能になった、灰の飛散防止の為に野芝を生やした約10ヘクタールをサッカー場として使えるようにしてくれないかと、相馬市サッカー協会から提案を受けた。

彼らは財政面のことも考えてくれて、「市長に無理を言うつもりはない。だから出来る範囲でいいけれど、トイレは欲しい。それと一面だけは天然芝の公式試合が出来るコートを作ってくれ」

「わかった。ただし条件がある。君たちが青少年健全育成とサッカー振興を目的としたNPOを作ってくれて、芝の管理や大会企画などを一手に引き受けてくれるなら直ぐに取り掛かろう」

平成21年10月。NPO「ドリームサッカー相馬」結成。

約束どおり私は平成23年5月オープンを目差し、相馬市光陽サッカー場の整備に着手した。

内容は、一面は排水の地下水路やスプリンクラー付きの天然芝コート、また手を加えなくても子どもたちが遊ぶには十分と考えて3面の野芝コート、一般用トイレおよび身障者用汎用トイレ、駐車場、簡単な事務室などである。

ところが。

3.11の大津波はサッカー場まで押し寄せた。

海側に作った駐車場は冠水、せっかくの天然芝も一部が海水を被った。

工業団地の津波対策設計海抜が6メートルあったことと、港の構造物で波の勢いが減衰されたこともあり被害は思ったほどではなかったが、周囲にガレキが散乱し、窪地の海水がいつまでも引かない光景はサッカー場建設どころではなかった。

何より、その日その日を生き延びることばかり考えていた我々は、サッカー場のことなどすっかり忘れていた。

あの頃は、災害関連死を出さないことと、避難所から一刻も早く仮設住宅へ移し、被災者に一息ついてもらうことで頭がいっぱいだった。

被害をこれ以上拡大させないことや、漁港の復旧など失った機能の手当てをすることが最優先課題だったのである。

そんな4月の下旬、対策本部と市民の気持ちがガラッと変わるようなニュースが飛び込んできた。

両陛下が相馬市にお見舞いに見えられるというのだ。

当時はまだ、相馬市に入る業者も放射能を気にしておっかなびっくりだったし、市民も本当に逃げなくて大丈夫だろうか?という気分で暮らしていたから、みんなが来たがらない相馬市に両陛下がおいでになるという報道がどれだけ市民を元気づけたことか。

しかも、ヘリコプターから降りられる場所が、完成間近だった光陽サッカー場のあの駐車場だと云うのだ。

行幸啓は5月11日。

私はヘリコプターがお着きになるまで直立不動でお待ちし、お近づきになられた両陛下に向かって生涯一度の最敬礼をしてお迎えした。

被災地をご案内しながら、市民の喜ぶ表情を見て驚いた。昨日までの被害の甚大さに沈んでいた顔つきではなく、明るさが戻っていたのである。

約3時間のご滞在のあと、サッカー場の駐車場からお見送りをした私は、光陽サッカー場を早くオープンさせて、子どもたちにも前を向かせなければと思った。

そんな私を見て、相馬市に子どもたちのPTSD対策支援に入っていた星槎グループの宮沢会長が動いてくれた。

全国の関係者に相馬のサッカー支援をお願いして回ってもらったが、オープニングの際はサッカーの名門清水商業の大瀧監督に頼んで、現役部員とJリーガーになっているOBを引き連れて、相馬高校との練習試合や子どもたち相手のサッカー教室を開催してくれるというのだ。


7月17日。

芝の緑がまぶしい日差しのなかで、会場いっぱいのサッカー少年たちを前に光陽サッカー場のオープンセレモニーが行われた。大瀧監督はどちらかと言えば物静かだったが、話しているうちに実直な方だということがすぐに分かった。

「必要ならまた来ますよ。我々は相馬の復興をサッカーで応援しますよ」と言ってくれたことが有難かった。

この日以来、1年8か月の間に1550チーム24,400人が利用している。芝の管理や会場の利用受け付けなどを担当するNPOも本当によくやってくれている。

ところが。

利用者の中には放射能がどうしても心配という保護者がいて、芝をすべて根っこから張り替えるか人工芝を敷いて欲しいという要望が寄せられるようになった。

光陽サッカー場の放射線量はリアルタイムに確認できるよう掲示しており、大体0.4マイクロシーベルト毎時ぐらい。

コート上の滞在時間を考えれば被ばく線量としてはわずかなものだが、放射線の場合は安全と安心の違いが大きな問題である。安心だと思ってもらえない限り、健康面を心配しながらのプレーが精神に良い訳がない。

しかし、人工芝となると安く見積もっても1億円はかかるし、芝の全面張り替えもそれなりの予算を要する。

何よりあらゆる分野のスポーツがある中で、サッカーにだけ予算をつぎ込むことは出来ないし、復興事業のほうを優先させなければならないという事情もあった。

そんな折。

日本サッカー協会から「FIFAフットボールセンター緊急支援事業」の情報を戴いた。

被災3県へのFIFAからの支援事業を相馬市において実施できる可能性を示してくれたのだ。

内容は相馬市が日本サッカー協会に土地を無償貸与して、日本サッカー協会が天然芝および人工芝のコートを整備し、相馬市に無償で使用させるという支援策である。

芝の管理については、3年間は専門家を派遣してもらえる。

その後は相馬市の管理となるが、この間に技術を学べばFIFAコートのレベルを下げないで済むだろう。

日本サッカー協会からは事務局長の福井さんに何度も現地を見にきてもらい、こちらも要望を重ねた。

その結果、人工芝1面と天然芝3面をFIFAと日本サッカー協会の支援で整備して戴けることになった。

形としては公用地の無償貸与なので、議会に諮り了解をもらった3月6日、私は満を持して日本サッカー協会に大仁会長、田嶋副会長、田中専務理事を訪ね、昨年以来の長い協議に応じてもらった事や、相馬市にとって最良の結論を出していただいた御礼を申し上げた。

FIFAフットボールセンターをしっかりと管理をしたうえで日本中に発信し、相馬市をあげてサッカー振興に取り組みたいので、大会の誘致や有名選手によるサッカー教室の開催など、今後の御支援をお願いした。

ご理解を得て、協力をお約束して戴いたときは本当に嬉しかった。

同時に、子どもたちが放射能を気にせずにサッカーに熱中できるようにという、保護者たちの顔が目に浮かんだ。

また、うんと多くのサッカー愛好者に相馬を訪れてもらえば、津波で変わり果てた松川浦に代わって交流人口を増やしてくれることになる。

松川浦の旅館組合の人たちにも知恵を出してもらおう。

NPO「ドリームサッカー相馬」も張り切っている。

この際、光陽地区スポーツ施設の3NPOと宿泊施設側が協働して、それぞれの大会の調整や宿泊所のあっせんなどに、有機的に連携する仕組みも必要である。

やるべきことは山ほどあるが、希望に向かって力を合わせる目標がまたひとつ出来た。

そう云えば、「ドリームサッカー相馬」とはよく名づけたものだ。

平成15年以来のこの地区での出来事のひとつひとつ、特に3.11以来の2年間を思い出すと、まるで夢を見ているようだ。

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更新日:2019年09月30日