メールマガジンNo.278(2013年3月11日号)農業法人「和田いちごファーム」

震災の直前まで「和田観光いちご園」は大盛況だった。13軒のいちご組合のメンバー達のそれぞれのハウスが、客を迎える笑顔で踊っていた。子どもたち、特に幼稚園児には大人気だった。

1988年の開設以来、例年1月から5月まで毎年3~5万人のお客を迎え入れ、相馬市の風物詩となっていた観光いちご園のビニールハウスだったが、その約半数を津波が一瞬にして流し去った。周辺の田んぼも津波が運んできたヘドロが堆積し原型を留めていなかった。ぼうせんとする彼らに、今度は原発事故が襲いかかる。いちごはハウスの中で栽培するので、ビニールが流されて土壌にセシウムが付着していても、新たに再建し客土すれば出来上がったいちごが放射能に汚染されることはない。しかし風評被害でどこまで売れるだろうか?物流業者さえ放射能を怖れて敬遠しがちなこの地方に、果たして客が来るのだろうか?

私の心配を見抜いたのだろうか、被災した組合員の中でも高齢な人たちは再建への投資を断念するようになった。いちご栽培は手間がかかる上、地面に屈んでの腰を曲げた作業は高齢者には辛い。私も無責任な元気づけは出来ないと思った。

しかし組合長の山中さんは諦めていなかった。東京農大の学生グループをはじめ、全国から集まってくれたボランティアの支援を得て、再開への歩みを始めることになる。被災直後は復興意欲こそが希望の光だった。彼は、津波被害を免れた数軒のいちご農家だけでも観光いちご園を再開しようという強い意志を持っていた。

そんな時、元医師会長の義理の息子さんという青年が私を訪ねてきた。その日揮株式会社の平澤君が私に提案したことは、陽圧式の円形ドーム型ハウスの技術があるので水耕栽培でいちごを作ったらどうか?というアイディアだった。なるほど水耕栽培なら腰を痛めなくとも済むし、施肥や水の管理もシステム化が出来る。しかし復興事業として取り組むとなると、被災したいちご農家だけでは組合員の中に溝を作るだけになる。しからば、組合員全員参加の農業法人を作ってもらい、相馬市が復興事業として水耕栽培の大型いちごハウスを作って法人に無償で貸せば良いのではないか?

そう考えた私は矢も楯も堪らなくなっていちご組合のメンバーたちに持ちかけた。ところが急に農業法人と言われても理解できない人もいて、なかなか全員には納得してもらえなかったが、「もう歳だからとてもいちごの労働はできない」という人には株主として参加してもらうことにして、市の産業部長が何回も足を運んだ。

「和田いちごファーム」法人設立と超大型ビニールハウス第一棟建設を経て、2013年1月13日は、就任したばかりの根本復興大臣をお招きしての、水耕栽培による新しい観光いちご園の開園式。メンバーの笑顔が弾けていた。旧知の根本大臣とは再会を喜び合ったが、放射能を気にせずに農業と観光業に専念できる復興施設を、農業法人による運営という形で紹介できることが嬉しかった。

さらに同日の午後には林農林水産大臣にもご視察をいただいた。林大臣とは8年前、自民党の部会に地方行革の説明者として呼ばれて話し合ったとき以来の再会だったが、驚いたことに彼はその時の会話のほとんどを再現できた。この日は相馬の農業の課題を話し合い、農業法人などの新しい生産の形を6次化に繋げる方法を協議させていただいた。もとより聡明な方だが、彼は間違いなく進化を遂げている。ハウス第三棟が建設中だが、6次化などの拡張性を考えてもう一棟の必要性もご認識いただいた。

さて、前述の平澤君の円形ドーム式のハウスは今回残念ながら採用にならなかったが、私の頭の中にピカッと白熱電球を灯けてくれた出会いだった。ありがとう。

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更新日:2019年09月30日