沿革・あゆみ
沿革
相馬氏は、平将門を祖とする関東の名族であり、源頼朝の奥州征伐に従軍し、その功によって奥州行方郡の地を与えられ、これが奥州相馬氏の成立の起因となりました。
鎌倉時代の末、下総国より奥州へ移住した相馬氏は、南北朝の動乱期を経て、この地に領主権を確立、いくたびかの危機を乗り越え藩政を担い、明治に至るまでその勢力を維持し、伝統と個性ある文化を培ってきました。
江戸時代初期の慶長16年(1611年)、本拠が宇多郷中村城に移され、家臣の城下集住が行われ、近世城下町が形成されました。
江戸時代後期、東北諸藩を襲った天明・天保の大飢きんでは、相馬中村藩も例外なく、収量の減収、人口の激減という困窮にみまわれましたが、天保年間に再び襲った飢きんの際には、蓄えておいた米穀を開放して餓死者を出さず、藩財政と領民生活の回復に努めました。衰廃回復のため、幕府の許可を得て興国安民の法(御仕法)を採用し、多くの藩が飢きんの打撃から立ち直れず、崩壊していった中で、相馬中村藩は御仕法の推進によって、藩財政を立て直し、藩政を回復しました。
御仕法の原理は、至誠・勤労・分度・推譲という基本理念を中心思想として、経済の復興と安定、そして民情を豊かにするというもので、その精神は市民憲章にもうたわれ、今なお市民の心の支えとして生きています。
明治22年、町村制施行に際して、中村、中野村、西山村の合併(昭和4年、松ヶ江村合併)によって中村町となり、昭和29年、中村町・大野村・飯豊村・八幡村・山上村・玉野村・日立木村・磯部村の1町7村が合併して、相馬市が誕生しました。
境域
東西28キロメートル、南北13キロメートル、面積197.79平方キロメートル、東は太平洋に面し、西は伊達市、南は飯舘村と南相馬市、北は新地町と宮城県に隣接する。
位置
相馬市の位置は、東経140度55分8秒、北緯37度47分50秒。福島県の東北端にあって東西28キロメートル、南北に13キロメートル。
南北には常磐自動車道が走り、相馬インターチェンジから東京まで約4時間、宮城県仙台市まで約1時間で結ばれている。また、相馬インターチェンジは東北中央自動車道(相馬福島道路)と接続しており、県都福島市とは約1時間で結ばれている。さらに、JR常磐線および一般国道6号が南北に走っており、福島県北部沿岸地域の産業、物流、文化の中心地である。
地勢
西部に阿武隈山系の山地・丘陵地を、中部・東部に平坦地と太平洋を配した西高東低の地勢を形成しており、概ね平坦地と山間部とが相折半し、市街地は中部の平坦地に位置する。平坦部には地蔵川、小泉川、宇多川、梅川、日下石川の中小河川が東に流れ、太平洋および内海の松川浦に注いでいる。
南部は、標高50メートル から70メートルの丘陵地が、海岸に向け扇状に展開し、海岸段丘を形成しており、その東端は、侵食された海食崖である。海岸線の出入りは少なく、平坦部では松川浦の砂州が弧状の砂浜として発達し、南部の海岸と対照的な景観を見せる。
現在の本市は、重要港湾相馬港、常磐自動車、東北中央自動車(相馬福島道路)といったインフラの整備が進むとともに、相馬中核工業団地(東地区498.6ヘクタール、西地区133.9ヘクタール)には優良な企業の立地が着実に進んでいる。
あゆみ
昭和29年の相馬市誕生からの主な出来事を年表にまとめました。
年 | 西暦 | 主な出来事 |
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昭和29年 | 1954年 | 中村町・大野村・飯豊村・山上村・玉野村・八幡村・日立木村・磯部村が合併し、「相馬市」が誕生。初代市長に横山宗延氏。 |
昭和30年 | 1955年 | 第1回市産業文化祭を開催。上水道第1次拡張事業を実施。 |
昭和31年 | 1956年 | 常備消防署(市消防署)を設置。「市政だより」第1号を発行(市史による)。玉野中学校開校。桜丘小学校開校。 |
昭和32年 | 1957年 | 相馬愛育園(児童養護施設)を開設。 |
昭和33年 | 1958年 | 2代目市長に佐藤清照氏。台風22号による大水害発生。山上中学校校舎・飯豊中学校屋内運動場完成。 |
昭和34年 | 1959年 | 原釜港を相馬港と改称。ごみ焼却場完成。 |
昭和35年 | 1960年 | 相馬港が地方港湾に指定される。桜丘小学校屋内運動場完成。 |
昭和36年 | 1961年 | 飯豊・山上・宇多の三校を統合し、向陽中学校を新設。 |
昭和37年 | 1962年 | 3代市長に横山宗延氏。交通安全都市宣言。国土調査に着手。消防団本部庁舎完成。市章制定。 |
昭和38年 | 1963年 | 国道6号の改良舗装が進む。市制施行10周年記念式典を挙行。中村第二小学校焼失。 |
昭和39年 | 1964年 | 衛生センター(し尿処理場)の建設に着手。向陽中学校校舎完成。 |
昭和40年 | 1965年 | 7農協が合併、相馬市農協が誕生。 |
昭和41年 | 1966年 | 4代目市長に横山宗延氏。 |
昭和42年 | 1967年 | 市民会館が完成。市民の歌を制定。千葉県流山市と友好親善都市締結。桜丘小学校プール完成。 |
昭和43年 | 1968年 | 市立大野幼稚園開設(第1号)。市制施行15周年記念式典を挙行。 |
昭和44年 | 1969年 | 第1回市民号を実施。駅前広場完成。保健所支所開設。市史「第4巻・奥相志」発刊。 |
昭和45年 | 1970年 | 5代目市長に横山宗延氏。公立相馬病院が完成。相馬港に待望の第1船が入港。 |
昭和46年 | 1971年 | 患者輸送バスが運行開始。養護学校開校。スクールバス運行開始。台風23号により大被害。中村第一小学校校舎完成。向陽中学校プール完成。 |
昭和47年 | 1972年 | 勤労者体育センター(川沼体育館)完成。大相撲で初代栃東優勝。副霊山トンネル開通。広域消防が発足。 |
昭和48年 | 1973年 | 市庁舎焼失。大野小学校・玉野小学校プール完成。 |
昭和49年 | 1974年 | 6代目市長に浜名忠雄氏。教育文化センター博物館が開館。相馬港が重要港湾に指定。公共下水道事業に着手。中村第二中学校校舎完成。 |
昭和50年 | 1975年 | 市総合計画を作成。県立海浜青年の家完成。 |
昭和51年 | 1976年 | 市民憲章、市の花・木・鳥を制定。市役所新庁舎完成。百間橋完成。磯部小学校プール完成。 |
昭和52年 | 1977年 | 千葉県流山市と姉妹都市締結。 |
昭和53年 | 1978年 | 7代目市長に今野繁氏。宮城県沖地震により大被害(被害総額約5億円)。休日診療制度がスタート。玉野公民館完成。 |
昭和54年 | 1979年 | 大洲生活環境保全林がオープン。ごみ焼却場完成。市制施行25周年記念式典挙行。 |
昭和55年 | 1980年 | 老人憩いの家完成。上水道第7次拡張事業を実施(東部地区の「赤水」解消)。相馬駅に特急列車が停車。人権擁護都市宣言。松ヶ房ダム着工。中村第一中学校校舎完成。日立木公民館完成。 |
昭和56年 |
1981年 | 相馬港がエネルギー港湾に。その背後地が我が国初の電源地帯工業団地に指定。水道事業所新庁舎完成。湯川村と姉妹農業委員会提携。中村第一中学校屋内運動場完成。 |
昭和57年 | 1982年 | 8代目市長に今野繁氏。市図書館・共同福祉施設(コミュニティセンター)完成。第1回相馬民謡全国大会開催。相馬警察署新庁舎完成。 |
昭和58年 | 1983年 | 北海道大樹町・豊頃町と姉妹都市締結。市史完結(全6巻)。地域振興整備公団が「相馬地域開発」を本採択。中村神社が国重要文化財に指定。真野ダム着工。 |
昭和59年 | 1984年 | 市民プール完成。非核平和都市宣言。中村第二小学校屋内運動場完成。 |
昭和60年 | 1985年 | 一般廃棄物最終処分場完成。玉野小学校校舎・玉野幼稚園園舎完成。八幡公民館完成。 |
昭和61年 | 1986年 | 9代目市長に今野繁氏。NHK朝の連続テレビ小説で「はね駒」放映。8・5豪雨で30年ぶりの大水害。県内初の六十アール型ほ場整備に着手。ポートセンター・労働福祉会館完成。山上小学校校舎・山上幼稚園園舎・飯豊幼稚園園舎完成。 |
昭和62年 | 1987年 | 中核工業団地の起工式。節分の大雪(積雪50センチ)。国道113号バイパス建設に着手。第2次市総合計画を作成。市消防団に内閣総理大臣表彰。振替納税推進都市および納税完納推進都市宣言。玉野中学校校舎完成。 |
昭和63年 | 1988年 | 中核工業団地造成に国内最大級のベルトコンベヤー始動。保健センター完成。相馬駅に「みどりの窓口」設置。相馬港が国際港に。公立相馬病院が総合病院に。松川浦新漁港開港。 |
平成元年 | 1989年 | 常磐自動車道いわき四倉〜相馬間が基本計画に昇格。市制施行35周年記念式典を挙行。デイ・サービス事業の開始。台風13号による記録的な集中豪雨で過去最悪(18億7千万円)の大被害。中核工業団地の予約分譲開始。 |
平成2年 | 1990年 | 10代目市長に今野繁氏。相馬港が無線検疫対象港に。公共下水道が一部供用開始。相馬共同火力新地発電所建設着工。松川浦大橋建設着工。 |
平成3年 | 1991年 | 真野ダム完成。流山市民ふれあいセンター「相馬ユートピア」オープン。常磐自動車道相馬〜亘理間が基本計画路線に昇格。相馬タワー完成。 |
平成4年 | 1992年 | 相馬工業用水道営業開始。市民号が日中国交回復20周年を記念し中国へ。 |
平成5年 | 1993年 | 相馬中核工業団地完成・分譲開始。相馬工業用水道営業開始。市民号が日中国交回復20周年を記念し中国へ。相馬愛育園園舎完成。大野公民館完成。 |
平成6年 | 1994年 | 11代目市長に今野繁氏。市制施行40周年記念式典挙行。三笠宮杯ツール・ド・とうほく開催。大野小学校校舎完成。飯豊公民館完成。 |
平成7年 | 1995年 | 松川浦大橋開通。相馬振興公社駅ビル「振興ビル」完成。運輸省練習帆船「日本丸」寄港。第50回国民体育大会「ふくしま国体」ソフトボール競技大会「成年男子1部・成年女子の部」開催。第1回松川浦大橋ふれあいマラソン大会開催。山上公民館完成。 |
平成8年 | 1996年 | 松ヶ房ダム貯水開始。相馬方部衛生組合「一里壇斎苑」完成。磯部小学校校舎完成。千葉県流山市と災害時相互応援協定締結。 |
平成9年 | 1997年 | 総合福祉センター「はまなす館」オープン。「子ども議会」開催。松ヶ房ダム完成。 |
平成10年 | 1998年 | 12代目市長に今野繁氏。常磐自動車道富岡〜相馬間に施行命令。スポーツアリーナそうまオープン。石川島播磨重工業株式会社(現 株式会社IHI)相馬工場完成。 |
平成11年 | 1999年 | 「第19回全国豊かな海づくり大会」開催。国道115号相馬南バイパス開通。松川浦パークゴルフ場オープン。川原町児童センターオープン。黒木多目的広場オープン。 |
平成12年 | 2000年 | 松川浦新漁港完成。市消防団本部の改築。台風3号による被害。相馬リサイクルセンター操業開始。第3次相馬市総合計画を作成。中村第二小学校屋内運動場完成。 |
平成13年 | 2001年 | 相馬看護専門学校開校。相馬方部衛生組合「衛生センター」完成。磯部農集浄化センター完成。第1回そうま市民まつり開催。一般国道6号相馬バイパス一部開通。松ヶ江地下道完成。東部公民館完成。 |
平成14年 | 2002年 | 13代目市長に立谷秀清氏。第15回全国健康福祉祭ふくしま大会「ソフトボール交流大会」開催。「相馬市快適なまちづくり推進条例」施行。窓口業務の一部時間延長開始。 |
平成15年 | 2003年 | 相馬東高校(旧相馬女子高校)開校。馬陵通り(新町北町線)開通。道の駅そうまオープン。ISO14001認証取得。「相馬市財政非常事態」宣言。 |
平成16年 | 2004年 | 振興ビルに図書館と駅前行政サービスコーナー開設。道の駅そうまに「体験実習館」がオープン。「相馬市財政非常事態宣言」撤回。 |
平成17年 | 2005年 | 向陽中学校屋内運動場完成。都市計画道路坪ケ迫・寺前線開通。 |
平成18年 | 2006年 | 14代目市長に立谷秀清氏。紙製容器包装の分別収集を開始。国道6号相馬バイパスの第2区間開通。DV相談窓口を開設。 |
平成19年 | 2007年 | 長期総合計画「相馬市マスタープラン2007」策定。相馬光陽パークゴルフ場オープン。静岡県裾野市・東京都足立区と災害時相互応援協定締結。飯豊小学校屋内運動場完成。 |
平成20年 | 2008年 | ISO9001認証取得。一般国道6号バイパス全線開通。阿武隈東道路着工。多重債務相談窓口を開設。 |
平成21年 | 2009年 | 相馬港内航フィーダー・コンテナ輸送定期航路開設。新型インフルエンザH1N1対策本部設置。大相撲夏巡業相馬場所。 |
平成22年 | 2010年 | 15代目市長に立谷秀清氏。住民票の写し・印鑑登録証明の東北初のコンビニ交付スタート。新相馬消防署完成。松川浦環境公園オープン。宇多川上流への廃棄物処分場建設を許さない相馬市民大会。お出かけミニバス運行開始。磯部・蒲庭・山上・玉野地区へ光ファイバーケーブル網整備。 |
平成23年 | 2011年 | 中村第一小学校新校舎完成。東日本大震災発生、相馬市で震度6弱、マグ二チュード9.0、津波9.3メートル以上、犠牲者458名(津波犠牲者457名)。磯部地区、原釜地区などで津波により集落が流失。住宅被害5584棟。被災水田面積1102ヘクタール。市災害対策本部設置(6月18日まで市役所毎日開庁)。放射線量測定開始(乳幼児、小中学生、妊婦)。被災者生活支援金支給。そうまさいがいエフエム開局。相馬中村開府四百年祭記念行事中止。相馬市復興計画Ver1.1策定。東日本大震災復興相馬三社野馬追。光陽サッカー場オープン。東京都稲城市・神奈川県小田原市と災害時相互応援協定締結。 |
平成24年 | 2012年 | 相馬市東日本大震災追悼式。戸籍電算化。相馬井戸端長屋・馬場野第1号棟完成。常磐自動車道(相馬インターチェンジ〜南相馬インターチェンジ)開通。相馬市復興計画Ver1.2策定。相馬西道路起工式。第1回震災復興子ども駅伝競走大会。愛媛県西条市・滋賀県米原市・茨城県龍ケ崎市・栃木県日光市と災害時相互応援協定締結。光陽クリーンセンター完成。 |
平成25年 | 2013年 | 程田明神前災害市営住宅完成。新市民会館完成。防災備蓄倉庫完成。東日本大震災殉職消防団員顕彰碑建立。磯部コミュニティセンター完成。復興施設見学バス運行。原釜底曳船用漁労倉庫完成。防災集合所完成(岩子・松川・獺庭・新田・南飯渕・日下石・立切・中野・台畑)。相馬光陽サッカー場リニューアルオープン。桜丘小学校屋内運動場完成。新潟県三条市・福井県大野市と災害時相互応援協定締結。 |
平成26年 | 2014年 | 16代目市長に立谷秀清氏。移動販売車運行開始(災害市営住宅、玉野地区など)。磯部小学校屋内運動場完成。災害市営住宅団地完成(細田東、狐穴)。東日本大震災犠牲者慰霊碑建立(磯部・原釜)。相馬市復興計画Ver2.1策定。LVMH子どもアートメゾンオープン。市役所新庁舎着工。歴史資料収蔵館完成。郷土蔵完成。防災行政無線(デジタル方式)全稼働運用開始。復興交流支援センター完成。常磐自動車道(相馬インターチェンジ~山元インターチェンジ)開通。相馬こどもドームオープン。原釜地区防災集合所完成。原釜漁具倉庫(小型)施設完成。 |
平成27年 | 2015年 | 子ども放射線量測定「1.0ミリシーベルト毎年」超えゼロ達成。千客万来館・中央公民館完成。第1回エル・システマ子ども音楽祭開催。常磐自動車道全線開通。市公式ツイッター運用開始。伝承鎮魂祈念館完成。災害市営住宅団地完成(刈敷田、南ノ入、山信田、北高野)。子育て支援施設相馬愛育園開園。公立相馬総合病院新第1病棟完成。相馬市復興計画Ver2.2策定。東部子ども公民館完成。松川ポンプ場完成。岡山県総社市と災害時相互応援協定締結。 |
平成28年 | 2016年 | 市役所新庁舎完成。長期総合計画「相馬市マスタープラン2017」策定。細田ポンプ場完成。放射性物質除染完了(市内全域)。磯部水産加工施設完成。原釜荷捌き施設・原釜海水浄化施設完成。アサリ試験操業開始(震災後初)。磯部漁具倉庫・上架施設完成。JR常磐線(相馬〜浜吉田)運転再開。 市公式フェイスブック運用開始。津波被災農地783ヘクタール復旧。刈敷田南公園(骨太公園)完成。 |
平成29年 | 2017年 | イシガレイ震災後初水揚げ。東北中央自動車道相馬福島道路(相馬山上インターチェンジ~相馬玉野インターチェンジ)開通。骨太けんこう体操導入。西部子ども公民館完成。新市民プール完成。相馬市バスターミナル供用開始。子ども民謡教室開校。鹿児島県日置市と災害時相互応援協定締結。玉野幼稚園閉園。玉野小学校・中学校閉校。磯部地区メガソーラー完成。東京農業大学と包括連携協定締結。 |
平成30年 | 2018年 | 17代目市長に立谷秀清氏。青ノリ震災後初出荷。東北中央自動車道相馬福島道路(相馬玉野インターチェンジ~霊山インターチェンジ)開通。市道相馬大洲松川線再開通。応急仮設住宅全戸取壊し完了。八幡小学校放課後児童クラブ完成。初野射撃場完成。熊本県高森町と災害時相互応援協定締結。相馬原釜海水浴場海開き(震災後初)。市内全小中学校給食無償化開始。 |
平成31年・令和元年 | 2019年 | 飯豊小学校放課後児童クラブ完成。東北中央自動車道相馬福島道路(相馬インターチェンジ~相馬山上インターチェンジ)開通。磯部小学校プール完成。第1回相馬子ども科学フェスティバル開催。台風19号などの記録的な集中豪雨による被害(市内ほぼ全域断水、市街地浸水)。相馬市復興計画Ver3.3策定。 |
令和2年 | 2020年 | 尾浜ビーチバレーボール場、尾浜こども公園、相馬復興市民市場「浜の駅松川浦」オープン。スポーツアリーナそうま第二体育館完成。JR常磐線全線再開通。新型コロナウイルス感染症対策本部。相馬野馬追縮小開催。発熱外来診察室設置。 |
令和3年 | 2021年 | ワクチン接種対策プロジェクトチーム設置。福島県沖地震発生震度6強(M7.3)。東日本大震災災害対策本部会議終了。相馬福島道路全線開通。排水ポンプ車2台導入。 |
令和4年 | 2022年 | 18代目市長に立谷秀清氏。福島県沖地震発生震度6強(M7.4)。 |
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更新日:2023年04月11日