高松コレクション(相馬駒焼など)

概要

高松コレクションとは、故高松治男氏の意志により、遺族から相馬駒焼54点、書画6点、計60点に及ぶ相馬市郷土の名品・名作を市歴史資料収蔵館に寄贈いただいたものです。

高松氏は美術工芸に造詣が深く、寄贈品の中にある掛軸の作者の冨田泉涌に師事し、その縁で、14代田代清治右衛門為清との知遇を得るに至りました。

寄贈品の詳細は、下記の高松コレクションリストを確認ください。

寄贈品の主な作者

14代田代清治右衛門為清

14代は、大正6年(1917)3月20日、13代田代清治右衛門八十吉(以下「13代」という)の四男として生まれましたが、3人の兄と弟を亡くしたため、一人っ子同然となります。よそに出して万一のことがあっては困ると思った両親や年寄りが家を離れることを認めず、昭和9年(1934年)、中学校を出るとすぐ家業を継ぐために修行に入りました。小さいうちから13代や職人の仕事を見ていたため、改めて指導を受けなくても、独学で技術を修得しました。相馬駒焼の大きな特徴である駒の絵は、清治右衛門の各代当主が責任をもって描いており、かつて藩主の御用第14代(世)田代清治右衛門為清陶器であったことを重んじ、その風格を崩さないよう工夫して描きました。14代が手本にしたのは、10代のものです。
昭和29年には、天皇・皇后両陛下のお買い上げを賜り、昭和45年の大阪万博には福島県代表として牡丹唐草文茶壺を出陳、昭和49年にはご用命によって迎賓館(旧赤坂離宮)開館記念に結晶釉茶壺を献納しています。

冨田泉涌

明治11年(1878年)8月18日に会津若松市で生まれます。本名は、冨田重俊。
明治31年会津中学校卒業し、若松尋常高等小学校に奉職、以来昭和26年に相馬農業高等学校を退職するまで教職員として50年5カ月勤務しました。 この間、相馬農蚕学校には通算13年2カ月、相馬中学校には、勤続10年7カ月の長きに及びました。博物が専門でしたが、絵、篆刻、釣、尺八、考古、盆栽、園芸など多趣味でありました。絵は南画風のものをよくし、「泉涌」と号します。篆刻は仏師大橋智信師に学びました。

菊象嵌壺

菊象嵌壺

花蝶陽刻文皿(黄瀬戸風)

花蝶陽刻文皿(黄瀬戸風)

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習課 文化係

〒976-8601
福島県相馬市中村字北町63-3 市役所庁舎1階
電話番号:0244-37-2278

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更新日:2022年12月19日