北三ノ丸・岡田館

北三ノ丸北側の土塁と堀のイラスト
北三ノ丸北側の土塁と堀の写真

北三ノ丸は、はじめ家臣の屋敷でしたが、天明3年(1783)に大きな屋敷を造営して以来、たびたび藩主家の用に供されるようになりました。文久2年(1862)に新殿が造られ、その後明治維新を迎えましたが、昔を思わせるのは前庭のみとなりました。いまでも「御三ノ丸」と称されています。
西には、岡田館(岩崎塁)といわれる藩主相馬氏の一族、岡田氏の屋敷がありました。さらに西には、妙見祠(現岡田神社)があり、周辺は「館の下」といわれ、岡田氏の家臣の住居がありました。

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更新日:2020年01月07日