佐藤玄々遺作品
さとうげんげんいさくひん
佐藤玄々(1888〜1963)は、旧中村町中野字反町前の生まれ、本名は清蔵、朝山、呵吽洞玄々(あうんどうげんげん)などの号を用いました。
玄々の家は、代々の宮彫師(みやほりし)で、幼少からノミに親しんで育ちました。1906年(明治39)上京し、日本木彫の伝統を守る山崎朝雲に師事。さらにフランスに留学し、当時世界的巨匠として知られたブールデルに師事、本格的な彫刻の基本的精神と技法を習得して帰国しました。
以後、日本の古典彫刻に新風を吹き込み、独自の作風を打ち立て、戦後は京都妙心寺内の大心院に転住し黙々と製作を続けました。院展には第1回(大正3年)から出品し、本県最初の日本芸術院会員となりました。
また、異色な彫刻家として知られ、「天女像」をはじめ数多くの名作を残しました。
昭和35年には相馬市の名誉市民となりました。
指定の区別
市 有形文化財(彫刻)
所有者/管理者
相馬市
所在地
相馬市歴史資料収蔵館
指定年月日
昭和48年11月17日
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生涯学習課 文化係
〒976-8601
福島県相馬市中村字北町63-3 市役所庁舎1階
電話番号:0244-37-2278
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更新日:2019年12月23日