展示資料概要
本市の歴史は古く、旧石器時代にさかのぼる椎木北原遺跡(しいのききたはら)があります。中世には平将門の子孫と伝えられる相馬氏がこの地方を治め、江戸時代初期に相馬中村藩初代藩主相馬利胤が中村城を居城としたことで、城下町が形成されました。 その後明治維新に至るまでの間、相馬氏は一度の国替えもなく、この地方を治めてきました。
また、二宮仕法(御仕法)が模範的に行われたところとしても全国的に知られています。
これらの歴史を踏まえ、歴史資料収蔵館では、郷土の歴史、民俗、考古などに関する資料を収集・保存し、郷土史を総合的に理解できるようにこれらの資料を活用した展示を行っています。
原始・古代(縄文から平安時代)
旧石器時代(きゅうせっきじだい)から平安時代(へいあんじだい)まで、市内の遺跡(いせき)から出土(しゅつど)した資料を中心に展示(てんじ)しています。丸塚古墳出土埴輪(まるづかこふんしゅつどはにわ)や地ノ内遺跡出土縄文土器(じのうちいせきしゅつどじょうもんどき)などから当時の人々の生活や文化がうかがえます。
主な展示物
丸塚古墳出土馬型埴輪(市指定文化財)
成田字船橋地内の丸塚古墳から出土した5世紀後半のころの埴輪です。
中世(鎌倉から室町時代)
中世は、鎌倉幕府(かまくらばくふ)の開始とともに始まります。鎌倉時代・南北朝(なんぼくちょう)時代、室町(むろまち)時代、そして戦国(せんごく)時代へと相馬氏による統治(とうち)が続きました。南北朝時代は、北朝方(ほくちょうがた)として活動、戦国時代は隣国(りんごく)伊達氏(だてし)との抗争(こうそう)に終始しました。そして天正(てんしょう)18年(1590)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の「奥州仕置(おうしゅうしおき)」をむかえたのです。
主な展示物
相馬文書(写真)原本東京大学史料編纂所
相馬文書は鎌倉時代から江戸時代までの貴重な記録です。旧藩主相馬家の所蔵の原本は戦災で消失してしまい、東京大学史料編纂所に影写本が残されています。その影写本の一部を写真で紹介します。
近世(江戸時代)
近世は、相馬中村藩(そうまなかむらはん)の時代です。中村藩は、慶長(けいちょう)16年(1611)の宇多郡中村城移転で本格的に始まりました。領地(りょうち)は、宇多郡・行方郡・標葉郡の三郡で六万石(まんごく)です。それは江戸時代が終るまで、260余年つづきました。
主な展示物
中村城下町人町屋敷地図(市指定文化財)
明和5年(1768)の地図で、田町通、上町通、大町通、宇多川町通の町割を詳細に示したものです。
近現代(明治から昭和)
中央からもたらされた近代文化(きんだいぶんか)や工業の導入が町の様相(ようそう)を大きく変えてきました。明治・大正・昭和・平成と現在に続く歴史の中で人々は相馬を創(つく)り続けています。
佐藤玄々(彫刻家)
異色な彫刻家として知られる佐藤朝山(玄々)は、明治21年(1888)相馬の仏師の家に生まれ、幼少から「ノミ」に親しんで育ちました。
明治39 年(1906)上京して山崎朝雲の門に入り、さらに大正11年(1922)フランスに留学してロダンの後継者ブールデルに師事。本格的な彫刻の基本精神と技法を習得して帰国。以後我が国の古典彫刻に新風を吹き込み、独自の作風を打ち立て、数多くの名作を残しました。
昭和36年(1961)73歳で相馬市名誉市民第一号に選ばれました。昭和38年(1963)、75歳でアトリエのある京都妙心寺の大心院で没しました。
主な展示品
和気清麻呂像(原型)
昭和15年(1940)、皇紀2600年奉賛会が、記念行事として皇居堀端の平河門近く(現在の竹橋公園、地下鉄出口)に作ったもの。その像の原型となる作品です。
神狗(原型)
完成品は、名古屋の熱田神宮内の日本武尊神社のご神体となりました(昭和20年(1945)5月14日名古屋大空襲で焼失)。
麝香(じゃこう)猫(原型)
作品を見た武者小路実篤は、「パリのルーブル美術館に出しても目立つ作品だろう」と絶賛したといわれています。
相馬駒焼(工芸)
相馬駒焼(そうまこまやき)は、江戸時代においては「御留窯(おとめがま)」として相馬藩から保護されており、製品はすべて藩に納入されていました。もっぱら藩主の自家用や、幕府その他への献上贈答用として製作されてきました。
そのため、明治期以前は、一般の人には販売されませんでした。この点、日常使用するために製作されてきた「大堀焼」とは大きく性格が異なっています。
その起源は、慶安4年(1651年)、一説には寛永7年(1633年)のこととされ、田代家初代源吾右衛門の開窯より現代までその伝統が継承されています。窯元は田代家が相馬市にただ一軒あるのみで、代々、清治右衛門を襲名しています。
主な展示品
歴代の作品を展示しています。
丁子風呂(3代 清治右衛門清晴)
藩主の手洗い場の匂い消しに用いたといわれています。丁子の葉を蒸す容器です。
駒絵徳利(6代 清治右衛門顕孝)
6代は、古法にとらわれず工夫改良を試み、象嵌や筒描きの技法を始めています。
- この記事に関するお問い合わせ先
-
生涯学習課 文化係
〒976-8601
福島県相馬市中村字北町63-3 市役所庁舎1階
電話番号:0244-37-2278
- あなたの評価でページをより良くします!
-
更新日:2019年05月09日