中村城の築城とその後

規模・特徴

中村城下地図のページへ移動中村城は、古くは天神山と呼ばれた自然丘陵を利用して築城されました。城郭の規模は、東西600メートル・南北650メートル。本丸と鎮守妙見を祀った妙見曲輪を中心に、二ノ丸・三ノ丸・岡田館を配置し、その間に堀・空掘をめぐらし城郭としての機能を発揮できるようにしました。城の北方には、蓮池・外堀・土橋などがあることから、北方を意識した堅固な城といわれています。

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慶長16年の築城では、本丸の西南隅に天守が建てられました。しかし、寛文10年(1670)5月4日夕刻、落雷のため焼失してしまいます。ときの藩主19代相馬忠胤は、 再建をすれば莫大な費用がかかり、藩士や領民を苦しめることになるため再建をしませんでした。その後の藩主もこれにならい、明治にいたるまで再建されることはありませんでした。

相馬氏の居城には、氏神として妙見が祀られ、居城を移すたびに妙見も移されました。太田村別所の館、小高城、中村城でそれぞれ祀られ、現在の太田神社、小高神社、相馬中村神社となりました。この三社は相馬三妙見と呼ばれています。寛永20年(1643)に18代相馬義胤が建立した相馬中村神社は、昭和58年(1983)1月に国の重要文化財に指定されています。

明治以後

明治になり、中村城の建物は、新政府の藩政改革でほとんどが取り壊されました。現在では、外大手一ノ門が唯一残っており、往時の面影を偲ばせます。城郭を形成していた土塁、石垣、堀などは、築城当時の姿を残しており、昭和30年(1955)2月に福島県の史跡として指定されました。


参考図書

「相馬市史1巻通史編・3巻各論編民族・人物」 相馬市
「史跡中村城跡保存管理計画書」 相馬市教育委員会  など


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