相馬の歴史講座

平成23年度 連載講座 「中村藩家臣団の系譜」

この連載講座は、市民のみなさんや相馬市に移住されるみなさんに、相馬の歴史を正しく知っていただくためのものです。どうぞお楽しみに。

平成23年度連載講座「中村藩家臣団の系譜」目次 >>

第6回 相馬重胤奥州下向後随従諸家

◎桜井氏 : 天正5年(1577)深谷城主三分一所義景(さんぶいっしょよしかげ)の息女が長門守義胤に嫁した時に随従して以後相馬家臣となる。

◎大越・熊上(耳)・阿部・栗崎氏 : 天文18年(1549)相馬顕胤の娘が三春領主田村清顕に嫁したが、天正14年(1586)清顕が男子の跡継ぎなく没した。清顕には顕胤の娘との間に娘(愛姫(めごひめ))があったが伊達政宗に嫁いでおり、田村家は断絶。田村領をめぐって伊達政宗と相馬義胤が争ったが、結果は伊達の傘下となった。三春家中で相馬側であった大越・熊耳・阿部・栗崎の諸氏は相馬の臣となった。

◎坂地氏 : はじめ会津城主芦名盛隆に仕え、石川郡坂地の舘主であったが、芦名氏が伊達政宗に摺上原の合戦で敗北の後、常州江戸崎に移った芦名盛隆の二女(江戸崎御前)が相馬利胤に嫁いだ時坂地隆光が奥老として相馬に来て相馬家臣となった。幕末の勘定奉行坂地氏の祖。

◎稲垣氏 : 久留里城主土屋忠直の妹(長松院)が将軍秀忠の命により相馬利胤に嫁いだ時に随従、以後相馬家臣となった。

◎久米氏 : 生国は尾張。寛永12年(1635)内藤志摩守重忠の息女が相馬大膳亮義胤に嫁いだ時奥老として随従して相馬家臣となった。

このように相馬氏の婚姻に伴って相馬家臣になった諸氏を例にあげることができる。
婚姻以外の政略・攻略の関わりから相馬家臣となった岩城系諸氏の数が多い。

◎猪狩・新妻・志賀・根本氏 : この四氏は岩城の一家に准じ、四天と称された家々で、天正年間(1573〜1591)相馬義胤の時相馬に属した。

◎鹽(しお)・多々部・山岡・馬場・四倉・佐藤・古市氏 : 鹽氏は岩城氏の分流。多々部氏の本姓は大須賀で岩城氏の一家の待遇を受けた。四倉氏は新妻氏の分流。佐藤氏は他にも多いが、岩城系の佐藤氏。古市氏は旧佐竹氏の臣であったが、忠次郎貞隆が佐竹家より岩城家に養子となる時随って岩城家臣となり、岩城家が秋田へ得替(ところかえ)の時猪狩・佐藤と共に相馬家臣となった。

◎岩城氏 : その名の通り岩城氏の一門、相馬利胤の時百余石を賜わって家臣となった。
このように他家よりこぞって相馬の家臣となった諸氏のほかに、個々に相馬の家臣となった諸氏も多いが、限られた紙面で述べきれないので次の二氏をあげておく。

◎首藤・花井氏 : 慶長7年(1602)5月徳川家により領地没収の際、相馬利胤は訴訟のため江戸に上り、谷中の瑞林寺(ずいりんじ)に逗留。旗本嶋田治兵衛を通して家康・秀忠に訴状を提出、10月に至って本領安堵の命を受けた。帰国の際瑞林寺住職日瑞上人(にちずいしょうにん)の児性(こしょう)であった須藤嘉助(13才)と花井門十郎の二人を貰い受け相馬に連れ帰った。嘉助は重臣岡田宣胤(のぶたね)の岡田氏を、門十郎は重臣泉胤政の泉氏を名乗らせ、それぞれ高禄高を与えた。後に二氏とも元の姓にもどって須藤(首藤)・花井を名乗り代々城下士となった。

衆臣家譜は、城下士950余家(庶流・絶家を含む)と附録330余家(在郷給人の由緒ある家等)総計1280余家の系譜を載せるが、この講座では紙面も限られており、多くの家について触れることができなかった。
また、取り上げた家々についても詳しく系譜を紹介できなかったことをお詫びしたい。

         執筆:藤原一良氏(相馬市史編さん近世部会調査執筆員)

 

これまでの連載講座

平成22年度 「相馬中村の城下町を探る」

平成21年度 「中村城」

平成20年度 「御仕法」

平成19年度 「相馬氏の統治時代」

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