相馬の歴史講座 「中村藩家臣団の系譜」

第1回 中村藩家臣団の系譜

明治4年(1871)7月14日、廃藩置県によって中村藩は廃止され、同年8月それまで「御家中」と呼ばれた城下士447戸は旧領内の各村に土着帰農することになった。

御家中は慶長16年(1611)中村築城の後28石以上の侍を城下に移し「府下給人」(ふもときゅうにん)と称し、元和年中より御家中と呼ばれるようになったといわれる。

中村藩にはこの御家中のほかに在郷給人・郷士と称され宇多・北・中・小高・北標葉・南標葉・山中の領内七郷に居住する武士が居り「相馬藩政史」には慶応元年(1865)にはその数1,530人とされている。家中と在郷合わせて2,000名近い数になる。これは他の藩と比較すると禄高の割に非常に多い数である。『明治の士族』の著者高橋哲夫氏は「相馬の士族の数が多いことは、何かの間違いではないかと思うほどである」というように話されたことがある。

『近世日本人口の研究』(関山直太郎・龍吟社・1947年)付録第一表府藩県別・身分別人員表から抜粋してみる。

※表

藩 名
禄 高 士族人数 卒人数 平民人数
中 村
6万石
13,453
3,426
46,055
仙 台
62万石
29,408
13,091
191,244
盛 岡
20万石
10,893
1,958
123,054
米 沢
15万石
15,801
22,438
88,127
人 吉
2万2千5百石
3,379
15,598
34,146
鹿児島
72万8千石
244,700
95,569
547,191

注1 上表は全国の府藩県別・身分別人員表の中から抜粋したものである。
注2 年代は記されていないが府・藩・県別に分けられているので明治初年と思われる。
注3 人数は各家族を含めた数である。

盛岡・人吉・鹿児島藩は中村と同様に鎌倉以来領地替えがなく、禄高の割に多数の家臣を抱えて明治に至った藩である。米沢藩も会津で120万石から米沢30万石・更に15万石に減封されながら家臣のリストラをしなかったことで知られる。この四藩は全国的に見ても禄高の割に家臣数が多いことを家族を含めた人数で示している。表(おもて)高(だか)は中村の10倍余で実高は100万石以上といわれた仙台藩に比べるとここにあげた五藩の中でもとりわけ中村藩は武士の数が多い。

その中村藩の家臣各家はそれぞれ伝来の由来と系譜を持つが、現在市史編さんの一環として刊行中の『衆臣家譜』によって次の五つに分け、家々の系譜を5回にわたって辿ってみたい。

(1)土屋系、(2)標葉系、(3)相馬氏奥州下向随従系
(4)相馬氏奥州下向後随従系、(5)その他

執筆:藤原一良氏(相馬市史編さん近世部会調査執筆員)

 


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