相馬の歴史講座 「相馬中村の城下町を探る」

第11回 中村商人の残した石仏を辿る

石仏は、供養塔や寺社へ奉納した石灯籠や手水石、鳥居等を含めた石造物をいいます。

『石仏一覧1(※図1)』の石仏(1)〜石仏(3)は桜町の南白丁(こびと)町口(現:西正寺の南西側)の旧常泉院前にあります。

石仏(3)は種子「ウーン(※図2)」(青面金剛(しょうめんこんごう))のある庚申塔(こうしんとう)で、往時は庚申(かのえさる)の日に講中で夜籠もりし、身中に宿る「三尸(さんし)」を絶ち長寿を願う民間信仰が隆盛しました。『吉田屋源兵衛覚日記』の「慶応二年六月廿一日」に、吉田屋鈴木庄次郎家内於やまの「傳尸(でんし)病道切り御治法」の祈祷を田町東横町の五大院へ願う件を載せています。

石仏(4)は西光寺(現:興仁寺)境内の薬師堂前にあり、風化が著しく宝輪(ほうりん)と火袋部(ひぶくろぶ)を失うも「奉納常夜灯、新妻与市□□」の銘から、施主は寛文〜元禄中(1661〜1703)の大町の豪商丸屋与市右衛門になると考えられます。

石仏(5)、石仏(6)は上町妙見社(初発神社)にあります。『奥相志』小泉村の項に「文政中〜中村巷の商人等寄進、神職武沢山城〜大路の東、中堀の北に立」と記されている太神宮碑(5)は、後に安養寺(現:歓喜寺)境内に移されました。台座に「嘉□再□講中」とあり、妙見社地(上町初発神社)に再建されたと考えられます。基壇(きだん)に残る「馬場、渡部、鈴木、阿部、西村、市田」は『覚日記』に記されている北町の柳屋馬場十太郎、宇多川町の西村屋卯右衛門、銃工町(現:宇多川町の一部)の鉄砲屋市田庄司右衛門他を指しています。

石仏(7)〜石仏(10)は安養寺(現:歓喜寺)の観音堂前にあります。

石仏(7)、石仏(9)は妙法蓮華経観世音菩薩普門品第廿五(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんひんだいにじゅご)(観音経)を声を出して読み供養した造立で、田町の渡部屋藤八と宇多川町の吉田屋鈴木嘉治の名を刻んでいます。

石仏(8)は「松島を心さすよりけふ幾日、む門に立ちてはむ津につく旅」と刻む狂歌碑です。館岡虎三の『相馬文学史』には、渡辺屋嘉兵衛と近江屋治兵衛が、便々館湖鯉鮒(べんべんかんこりふ)こと幕臣大久保正武の師恩を尊び建立したと記しています。

石仏(11)は天保中に迎町(向町)の龍海庵(りゅうかいあん)(現:正西寺の南側)から観音堂前(現:歓喜寺)に移され、塔身に金剛界四仏(こんごうかいしぶつ)の種子を浮き彫りにして笠の四隅に風鈴を吊る孔があるものです。基壇の「(西)宝暦二年八月十五日宥運〜(北)同八年七月廿八日宥貞」は、享保・寛延中(1716〜1750)の安養寺御世代の高僧です。

又、石仏(12)は小泉橋の和正院跡(わじょういんあと)にある定印(じょういん)の阿弥陀仏座像で、『奥相志』に「キリーク(※図3)乃至法界平等利益(ないしほっかいびょうどうりえき)、当庵地開山法印龍海(とうあんちかいざんほういんりゅうかい)、宝暦三癸酉天(ほうれきさんみずのととりてん)」と記す石像に該当し、両基は名作になります。

『石仏一覧2(※図4)』の石仏(13)は根岸山の永祥寺(えいしょうじ)跡(現小泉字根岸)にあり、蓮華座(れんげざ)に「キリーク(※図3)禅峯待定上人(ぜんぽうたいじょうしょうにん)」と刻まれ、享保15年(1730)に小野村薬師寺宗信庵で「指灯(しとう)念仏供養」をした待定上人の墓塔になり、元禄中(1688〜1703)の大町の豪商天野重成が造立しました。

(14)以下は旧不乱院(現慶徳寺)境内にあります。『北山念仏記』は承応2年(1653)に名誉称西(めいよしょうさい)が小泉橋畔に草庵を結び、巴陵院(はりょういん)義胤公の回向(えこう)を願う御小人衆(おこびとしゅう)と四十八夜念仏を始めたと伝えています。これに城下の老若が結縁を求め万行功徳を願う宗派を越えた不断(ふだん)念仏講となりました。寛文7年(1667)に大町の冨商立谷庄兵衛の道空庵前に本堂の造立が許され、鹿島屋、蛯原屋、平野屋、丸屋、天野屋等が発起し、町方は挙って用材を担い供養院を建立しました。享保6年(1721)に昌胤公の命により幾世橋の念仏堂と併せ一心山不乱院(いっしんざんふらんいん)と改号し、両院の念仏日を合わせました。嘉永6年(1853)に本堂は再建され、門内左右に石像があり、小池に輪橋を架していたといいます。『奥相志』に「阿弥陀仏回向大石碑」と記しているのは、今日の百日紅の古木の周りに散在する(14)以下の供養塔になると考えられます。

※三尸(さんし):道教で、人の腹中にすんでいるといわれる三匹の虫。
※宝輪(ほうりん):塔の屋根の上のかざり。
※火袋(ひぶくろ):燈籠の火をともす所。
※基壇(きだん):建物の下の石または土の壇。
※定印(じょういん):心を統一して無我の境地に入る時、両手の指を様々に組み合わせて表現する。仏像等に見られる手の形。
※蓮華座(れんげざ):はすの花の形をした仏像の台。
※回向(えこう):自分のおさめた功徳を他にもふりむけ、自他ともに極楽往生するようにすること。
※乃至法界平等利益(ないしほっかいびょうどうりえき):真言宗や浄土宗の墓塔に刻まれた教文で、無縁仏や無縁霊の供養を意味する。
※不断((ふだん):絶え間なく続くこと。

図1:石仏一覧1(No,1〜12)

※図をクリックすると、PDFファイルが開きます。

図1

図2:ウーン(梵字)

図4

図3:キリーク(梵字)

図3

図4:石仏一覧2(No,13〜24)

※図をクリックすると、PDFファイルが開きます。

図4

 

執筆:南部孝之(相馬郷土研究会)


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