相馬の歴史講座 「中村城」

第9回 発掘調査から見た中村城

トレンチ検出遺構(二の丸) 拡大ページへ

トレンチ検出遺構
(二の丸)
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中村城跡における発掘調査は、城内整備に伴い何回か実施されております。すべて部分的な調査で、全容を捉えるまではいっていませんが、それぞれ大きな成果を上げています。

その中で特に大きな成果があったのは、平成7年に実施された国民体育大会ソフトボール競技大会会場整備に伴う、東二の丸及び南二の丸(長友)の試掘調査でした。

東二の丸、南二の丸とも、慶長16年(1611)に相馬利胤が城修築を行った時に、本丸の東側と南側に増築した郭と考えられます。

『奥相志』によれば、東二の丸は当初家臣の堀内十兵衛胤重の屋敷があったとされています。後太守相馬貞胤が在所しているほか叙胤、恕胤等の居宅となっていましたが、天明3年、恕胤が北三の丸へ新殿を造り隠居することにより、東二の丸の舎殿は取り壊されています。享和年中(1801〜1803)には空地となり、スギ、ヒノキが植えられたこともあったようです。

南二の丸(長友)も『奥相志』には、当初一角には中村城築城にあたった木幡勘解由長清の居宅がありましたが、その後泉田掃部の屋敷、蔵院、馬院、士宅等に区分され、最終的には泉田掃部の屋敷(居宅)と営繕所(常小屋)として利用されたと記載されています。

発掘調査は、平成3年11〜12月に実施しました。調査は、それぞれ任意に10数本のトレンチを設定し掘り込みを行い、内部の様子を確認しました。

東二の丸では、地表下10〜30p掘り込んだところから、建物の礎石を乗せるために行われた整備の跡(円筒形に掘り込んだ穴に白色の粘土をたたき込み、拳大の石を敷き詰めた跡)が2棟分確認されたほか、石列が検出されました(写真・図面参照)。建物跡は1棟が東西(7間+α)×南北3間、他は東西(2間+α)×南北3間は確認されましたが、詳細は不明です。ただ、石列等の状況からかなりしっかりした建物であったことが伺えます。遺物としては、陶磁器片、瓦、かわらけ(素焼きの土器)が出土しました。瓦は本瓦葺の瓦で、軒丸瓦は九曜紋、軒平瓦は丁字唐草文が施されていました。

南二の丸(長友)では、地表下20〜40p掘り込んだところから、建物の礎石が2棟分検出されたほか、東二の丸で検出されたものと同様の建物礎石用の整備跡が1棟分確認されました。
以上、東二の丸、南二の丸(長友)共に建物の存在したことが確認されており、『奥相志』の記載を裏付けることができました。

現在、どちらの郭も遺構を保存するため、数10pの盛土が行われ、グラウンドとして整備されています。

※トレンチ
遺跡を発掘する際、内部の状態を確認するためにうがつ細長い試掘溝のこと。

執筆:橋本博幸氏(相馬市教育委員会生涯学習課)


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