相馬の歴史を今に

中村城(馬陵城)跡

慶長16年(1611)17代相馬利胤が居城にして以来、中村城は、6万石の城として260年間続きました。

馬陵城ともいわれる平山城です。天守閣は寛文10年(1670)に落雷で焼失しましたが、大手門と石垣、水堀、土塁などが残っています。

相馬中村神社

相馬家代々の氏神として崇敬されてきた相馬中村神社は、中村城郭内の西方にある小高い丘に建っています。

寛永20年(1643)18代相馬義胤によって建立された権現造りで、桃山様式の本殿・幣殿・拝殿は、国の重要文化財に指定されています。

相馬神社

相馬氏の祖師常を祭る神社として明治13年、中村城の本丸跡に創建されました。

「鎌倉四天王」の一人に数えられていた師常は、源頼朝の平泉攻めに出陣し、その恩賞として当地方を加増されました。境内には、樹齢数百年を数える藤があり、花季には参拝客の目を楽しませています。

涼ケ岡八幡神社

もとの名を八正宮といい、南北朝時代に創建されました。現在の建物は、元禄8年(1695)21代相馬昌胤が建立したものです。

県指定の重要文化財になっている総欅造りの本殿・幣殿・拝殿のほか、神路橋・随神門・大鳥居などがあります。

相馬復興の恩人 二宮尊徳翁

江戸時代の後期、冷害による凶作が続きました。中でも、天明・天保の大飢きんで、相馬領内の田畑が荒れ、人口は最盛期(約9万人)の約3分の1に激減するなど、かつてない大被害を受けました。

この荒れはてた大地を緑豊かな耕地に、また、冷えきった民・百姓の心を人間性豊かなものに変えていったのが、二宮尊徳翁の訓えである「興国安民の法」(御仕法)でした。

御仕法は、相馬では弘化2年(1845)に坪田・成田両村に初めて採用され、以来、明治4年までの27年間に、領内226か村のうち101か村で実施されました。そのうち55か村で完成をみています。

御仕法を実施した所は全国に約600カ所ありますが、最も理想的に行われたのは相馬である、といわれています。

愛宕山史跡

伊弉再尊と火産霊尊を祭神とする愛宕神社をはじめ、中村藩内弟子を教育し、多くの俊才を輩出した金蔵院、19代相馬忠胤が武運長久を祈って建立した観音堂、出羽の名工、上杉主殿頭作の地蔵堂などの史跡があります。また、二宮尊徳と慈隆の墓もあります。

民謡のふるさと相馬

「相馬盆唄」「相馬流れ山」「新相馬節」「相馬二編返し」「壁塗甚句」をはじめとする民謡のふるさと相馬。

6万石の小藩ながら藩主は常に武を練り祭りを盛んにし、領民のために住み良い明るい藩政を施いたことを謳歌した唄が残されています。それらの唄を保存し、全国へ普及するために相馬民謡全国大会や相馬盆踊り大会などを開催しています。


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