御仕法

 

実際のようす

御仕法は、藩主相馬充胤の理解のもと、藩の一大事業として積極的に推進されました。また、二宮尊徳自身は相馬の地を訪れることはありませんでしたが、中村藩士で二宮尊徳の弟子であった富田高慶が、二宮尊徳の代理として全体の指導にあたりました。

御仕法は、さまざまな基礎調査を行い、村の状況、村民の生活の様子を明らかにし、分度を定め(村の過去何年かの税額平均値から生活の限度を定め)、弘化2年(1845)12月に城下に近い成田村(1日)、坪田村(4日)で始まり(発業し)ました。

成田村では、代官助役高野丹吾宅に村人一同が集まり、郡代野坂源太夫と宇多郷代官志賀乾が御仕法の趣意を説明し、富田高慶が御仕法発業の経過と内容を説明しました。そして、第一の作業である村内善行者表彰の入札(投票)を行いました。

発業後は、農民の労働意欲を高めて生産力をあげ、和の精神を尊重して連帯感を高めるためにいろいろな作業(事業)が継続して行われ、早い村は数年で復旧しました。復旧ができた村を「仕上げ村」といい、農民の借金を返させ、日課縄ないの積立金を倍額にして返し、新たに凶作時の備えをして、仕法を別の村に移していきました。

こうして御仕法は、弘化2年から明治4年(1871)の廃止までの27年間、藩領内226か村のうち101か村で施行し、うち55か村は完了、46か村は施行途中で打ち切られました。

御仕法発業までの基礎調査

村の田畑の総計・実際の耕作地・荒地・有税地・除地・戸数・人口・貧富の状況、各戸の家族数・男女老幼の別・労働非労働の別・所有地・自作地小作地の別・家畜の有無・借財など

御仕法実施中の継続事業

1.投票によって善行者を表彰し、褒美としてお金、鍬、鎌などを与える

2.投票によって屋根替えをしてやる

3.投票によって村の模範になる人には家を造って与える

4.孝子節婦の表彰

5.困窮者への夫食米を与える

6.無利息年賦金の貸付け

7.新百姓取立ての助成(百姓の二男建て・入百姓)

8.荒れ地の開墾奨励

9.堤・用水堀・掛入堀などの新築・修理

10.植林の奨励

11.橋や道路の普請など


前のページへ戻る

ホーム > 相馬の歴史 > 御仕法 > 実際のようす