御仕法

 

御仕法の廃止と興復社

御仕法は、明治4年(1872)、廃藩置県によって廃止されましたが、廃止を惜しむ声が大きく、形を変え、事業を縮小して、明治10年に「興復社」が設立されて事業が引き継がれました。初代の社長には、富田高慶が就任しました。興復社の実質的な事業は、磐前(いわさき)県内各地での開墾事業を助成することでした。しかし、開墾料の返納金である報徳金の未納がかさみ、明治20年に興復社は事業の一切を中止しました。明治23年、富田が亡くなり、二宮尊徳の孫の尊親が社長になりました。

 尊親は、興復社の事業として、北海道に新しい天地を求めることになりました。明治30年、尊親みずから移民15戸を引率して牛首別原野に鍬を入れました。報徳精神に基づいた開拓事業で、10年後には移住戸数160戸、人数958人、開墾畑844町歩に達する二宮牧場(北海道中川郡豊頃町)ができました。

報徳の訓え

相馬市では、昭和51年3月31日に「相馬市民憲章」を制定しましたが、『報徳の訓えに心をはげまし、うまずたゆまず豊かな相馬をきずこう。』という文言がうたわれています。

また、中村城跡や市図書館前には「二宮尊徳像」があって、尊徳が身近な存在となっています。

さらに、愛宕(相馬市西山)の尊徳墓や尊徳の供養のため建てられた「地蔵堂」周辺は、常に老人クラブのひとたちの手で清掃されています。


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