市長のひとこと

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本内容は、重複した言葉遣いや表現などを整理した上で掲載しています。

流山市市制施行50周年記念式典 相馬市長祝辞

2017/01/21

本日は、流山市市制施行50周年おめでとうございます。姉妹都市を代表しましてご挨拶を申し上げます。
皆さんもご存じのとおり、相馬市は東日本大震災で大きな被害を受けました。特に大津波で沿岸部が大きくダメージを受けました。震災が発生したすぐ後に、流山市からの支援物資が届きました。私がお願いをしようと連絡をした時には、既に支援物資を積んだトラックが流山市を出発しておりました。たくさんの水をいただきました。災害直後は、寒くても脱水を一番に警戒しなければなりません。そして、水やお湯をかけると食べられるアルファ米も一緒に届けていただきました。本当にありがたかった。その後も様々な支援物資を届けていただきました。また、復旧の為の膨大な事業に立ち向かっている中で、優秀で気骨のある職員2名を派遣していただきました。井崎市長の判断で、震災直後の急性期は大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。

加えて皆さんにご紹介したいことがございます。自治体にとって姉妹都市は親戚です。そして親戚の親戚にも助けていただきました。流山市の姉妹都市である信濃町、能都町からもたくさんの支援物資が届きました。本当にありがたかったです。

あれから5年8カ月が経過しました。2年前に復興住宅のすべてが完成し、大きな被害受けた漁業組合や漁師の作業所など、復旧復興に必要だったハード事業はほぼ終えることが出来ました。しかしながら放射能の風評被害が残っています。また、子ども達の健康を守っていかなければなりません。そのために相馬の子ども達全員の内部被ばくと外部被ばくを継続して調べています。これはこれからも継続していかなくてはならないと思っています。このようなソフト事業は継続して参りますが、復旧・復興は概ね計画通りに復興を進めることが出来ております。これも流山市民の皆様の大きなご支援、思いがあったからこそと思っています。そのことを是非御礼申し上げなくてはならないと思って相馬からやってまいりました。

また、相馬市では、震災で親を亡くした子ども達51人への支援を考えました。その子ども達が18歳になるまで毎月3万円を仕送りし、大学等へ進学する子どもには学費と下宿代を出してあげることにしました。それを実施するための寄付を世界中に呼びかけ、多くの皆様から5億1千万円が集まりました。その中には、「相馬市がそういうことやっているのだから、相馬市の被災した子ども達、親を亡くした子ども達の為に何とかしてやろうじゃないか」と、具体的な金額を言っては失礼かもしれませんが、5千万円を超えるご寄付を、流山市民の皆様からいただきました。本当にありがとうございました。

そしてもう一つですが、相馬には次の災害に備えた大きな防災倉庫があります。何が起きても対応できる程度の物資が保管されています。そして倉庫の壁には、流山市をはじめ支援をいただいた自治体のパネルが貼ってあります。何のためかと申しますと、頂いた御恩をずっと忘れないためです。相馬にあの震災と同じような災害が何度も来ることはないと考えています。相馬だけではなく、パネルにある自治体にもしものことがありましたら、この防災倉庫からすぐに支援物資をお送りします。安心してください。流山市にも直ぐにお届けします。

今回の震災では、あれだけの思いをして、これだけ両市の絆が深まりました。この絆が次の世代につながり、両市の関係がますます深まっていきますように、今後も交流を続けて参りましょう。

流山市の前途揚々たることをご祈念いたしまして、お祝いの挨拶といたします。本日は50周年、誠におめでとうございました。


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