市長エッセー

木造2階建て瓦ぶきの中村第一小学校

2011/02/18

相馬市は江戸時代の初期1611年に相馬利胤公が居城を構えて以来の城下町である。しかし残念ながら、街並みにその風情は無い。相馬中村藩が師事した報徳仕法は、廃藩置県とともに侍たちに帰農を命じたのだ。古地図を見るとお城の周りに侍屋敷が整然と並んでいたことが分かるが、今の相馬市街地には武家屋敷街はなく、中村城跡地の馬稜公園の石垣と大手門にその名残を残すだけだ。

その大手門に向かって右側にお堀があり、春になると土手の桜が美しい。満開の桜がお堀の水面に映え、やがてうっすらと散ってゆく風情は、多くの市民にとってふるさと相馬の原風景である。お城の南に隣接して相馬高校があり、お堀の前の歩道は通学路になっている。ここを巣立った卒業生たちが相馬を想う時、真っ先に浮かぶのはお堀の土手に咲く満開の桜だろう。その大手門前の左側には明治6年から続く中村第一小学校があり、この地所は藩政時代の藩校育英館の跡地である。校名を記した銘板が今でも玄関に掲額してあるぐらいだから、学問所としての伝統は古い。

2年前、市立小中学校の耐震構造検査を一斉に実施した我われは、もしもの災害に備えて徹底的に耐震補強を施すことにした。しかし中村第一小学校だけは補強工事にコストがかかりすぎるため、全く新しい校舎に改築することになった。
鉄筋コンクリート造の現校舎は、40年前は近代的な小学校だったが、目前の宮大工の大手門や藩政時代からのお堀とは違和感がある。そこで新しく改築するにあたっては、周辺の歴史的な景観との調和を図り、また藩校育英館の跡地であることを子供たちが誇りに思ってくれるよう、和風建築にすべきと考えた。育英館も明治の校舎も、今となっては資料がないので推察の域を出ないが、瓦の美しい、漆喰で塗られた壁を持つ木造校舎だったはずだ。

教育の現場や建築担当者からは、管理やコストの面から困難でないかという意見もあったが、新校舎を木造瓦葺き2階建てとすることで押し切った。基礎のコンクリートは仕方がないとして、躯体には鉄骨を一本も使わず、子供たちが触れる部分を出来るだけ木材で覆い、新建材の使用を極力控えることを基本コンセプトとした。管理の問題は合計8か所の内外監視カメラを取り付けることで対応し、建設コストについては知恵と工夫で乗り切った。また使用木材は福島県産木材を用いた。

給食室の壁や、教室の天井などは不燃材料を採用するしかなかったので、オール木造という訳にはいかなかったが、子供たちが木のぬくもりを感じながら学習し、精神的に落ち着きながら成長できるように、また新建材による健康障害を避けるためにも、内部の壁は出来るだけ木板を使用した。地球環境対策としては、給食室の屋根にソーラーパネルを搭載して自然エネルギー利用に取り組んだが、私は環境に対する一番の配慮としては、遠い将来の解体工事の際、柱や板材は廃棄物にしなくて済むことだと思っている。コンクリートは瓦礫にしかならないが、木材は手を加えれば再利用出来るからだ。

工事完了は3月中旬となるが、6年生を出来るだけ新校舎で過ごさせるため、校舎部分が完成する2月23日に落成式を行う予定である。私や教育委員は羽織はかまで、JVを組んだ地元のゼネコン3社の社長さんたちは大工の棟梁姿で式に参列することにした。お堀の桜がふるさとの原風景として思い浮かぶように、落成式の光景を子どもたちの心に焼き付けてもらいたいと思っている。

 

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