市長エッセー

ご当地映画の計画

2011/01/21

飲酒運転撲滅の社会派映画「ゼロからの風」を作られた塩屋俊監督と知り合い、大いに意気投合して市民有志とともに実行委員会を作って、市民会館大上映会をしたのが一昨年の8月だった。その一年後の昨年7月、相馬野馬追いを観覧においでになった監督は、拙宅での総大将出陣の儀式から翌日の神旗争奪戦までの一連の行事を、小型ムービーカメラに収めて帰られた。監督にとっては「ゼロからの風」に続いての作品である、ハンセン病をテーマにした「ふたたび」の製作が終わっていた時期でもあり、頭の中は次に始まるご当地映画シリーズの構想で一杯のようだったが、700年もこの地で続く勇壮な民族の祭典は驚きだったらしい。

その後、上京の折に時間を見つけては監督と食事をするようになったが、新しい映画「ふたたび」の封切りの時期に、一日かぎりの放映権を製作会社の松竹撮影所から譲り受けて、市民会館でのロードショーを企画しようと相談がまとまった
。 そのとき私は、今後製作するご当地映画で相馬野馬追いを取り上げてもらえないかと頼み込んだ。監督の目には総大将出陣や神旗争奪戦の興奮が強烈に残っていたためか、「それは是非前向きに考えましょう。現在自分の故郷である大分県臼杵市で第一作を作っているが、いずれは相馬野馬追いの騎馬武者をヒーローに、緑豊かな相馬市や福島県を舞台にした映画を企画したい」

監督から「ふたたび」の試写版を借りて帰って、さっそく30代40代中心に仲間たちを集めて映写会を行ったところ、感動した彼らは市民会館でロードショーをするための実行委員会を立ちあげた。この段階で彼らに相馬のご当地映画の話まではとてもできなかったが、若者らによる実行委員会のことを監督に話したところ、当日は舞台挨拶に松竹撮影所の北川社長と一緒に相馬まで来られるという。

次に、五郷騎馬会の正副会長会で野馬追いを取り上げたご当地映画を誘致しようと提案した。高田軍師はじめ、「実現できるならこれ以上のPRはない。騎馬会としては是非協力したい」「だったら、正副会長15人で連判状を作って依頼しようではないか」
12月25日、日取り問題が決着した祝宴の席。22年度総大将の私と、15人の正副会長により依頼状に署名捺印して鬨の声をあげた。

1月15日ロードショーの当日、舞台挨拶に来られた監督と北川社長に、700人のお客様の前で騎馬会からの依頼状を読み上げたうえで手渡した。内容は「相馬野馬追いを取り上げた映画を製作し、全国に広めてほしい。実現の際は騎馬会として出来る限りの協力をする」というもの。監督からは「是非頑張りたい!」と積極的なコメントがあった。もちろん会場からは割れんばかりの拍手。

私も知らなかったが、最近の映画作りは「製作委員会」のような、一種の企業体を立ち上げて資金集めをするらしい。つまり、出資額や興行実績に応じて配当を受ける、映画一本一本のシンジケート(出資組合)を作って製作や興業をする方法が主流なのだそうだ。そうすると出資者にとって理解しやすいテーマを選び、その舞台が相馬であり、福島県であり、ヒーローの生きがいが野馬追いという設定が決まってくる。

どのような映画を作るかは監督の理念と感性にかかってくるが、もしも環境をテーマとするとしたら、相馬にとって母なる川である宇多川や、流域の漁場でもあり景勝地の松川浦の水源となる阿武隈山系の自然が対象になるだろう。

今後、監督が構想を練るにあたり、可能な限りの情報提供をしようと考えている。
その情報を整理する作業は、そのまま我われの郷土を見つめ直すことに繋がる。野馬追は言うまでもなく郷土の誇りだが、野馬追いの里相馬を育んできた山河もまたかけがえの無い市民の宝である。「製作委員会」の運営は北川社長の腕の見せ所だが、作品をつくる塩屋俊監督に、どのような美しい相馬を見せられるかは我われの力だ。客観的に郷土を見つめなおす好機でもある。

 

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