市長エッセー

土門 拳

2003/09/26

県立美術館の写真展で圧倒されて帰ってきた。構図、露出、ピントなど撮影技術もさることながら、今となっては時代そのものが被写体であり、そのひとコマひとコマが、かつての日本の情景を緻密に、そしてダイナミックに表現している。

特に戦後から昭和30年代の子ども達のスナップショットがいい。
国のエネルギー政策の転換でスラムと化した炭鉱街を描いた「筑豊のこどもたち」は余りにも有名だが、たとえ貧しくとも、ものがなくとも、子ども社会という空間を使って、心のキャンバスに、明るく、たくましく個性を描いてゆく姿をしっかりと捉えている。

われわれの社会はひょっとしたら、失ったもののほうが大きいのではないだろうか?

目を閉じて子供のころの遠い記憶を辿ってみると、なかまに入れてもらうために集団に気を使ったり、年下のなかまを心配したり、親しい友達どうしで漫画の本を回し読みしたり、つまり集団の中で原始的な社会教育を受けてきた自分の子ども時代が、土門拳のスナップと重なって見える。

この平成の子ども達は、氾濫する情報とひとりで向き合って暮らしている。処理能力が十分に成長していない子ども達の戸惑いにはお構いなしに、視覚、聴覚を問わず、あらゆる感性に、膨大な量の情報が襲いかかっているのである。そこには楽しさやうれしさを分かち合うなかまもいなければ、手柄をほめてくれるガキ大将もいない。

50年前の子どもたちの姿から伝わってくるのは、戦後の復興にかけた日本の瑞々しい力強さと、社会のやさしさである。土門はその表情の豊かさを、自らの感性で見事に切り取った。

※土門 拳(1909〜1990)写真家
山形県酒田市に生まれ、「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」に代表されるドキュメントシリーズ、日本美の探究に生涯をかけた「古寺巡礼」シリーズなど数々の傑作を生んで日本写真界をリードした。

 

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