市長エッセー

二宮地区

2003/08/01

7月17日、姉妹都市訪問として北海道中川郡豊頃町を訪れた際、以前より一度は行ってみたいと念願していた同町・二宮地区の風を肌で感じることができた。

二宮尊徳は小田原生まれの人。今市市で亡くなるまで全国に報徳仕法を広めたが、「至誠、分度、推譲、勤労」という4つのスローガンをして、江戸末期の疲弊した諸藩の行財制改革の指南をした。
江戸時代も後半は商品経済が発達して、従来の米本位制から貨幣経済に移行する際に、当然のことながら勝ち組と負け組みができる。勝ち残れる能力や材料があればいいのだが、十分な情報収集能力と分析能力なくして夢を追いかけても、後で苦しくなるだけである。

身の丈に合った藩財政と領民の生活をしなさい、そのためには働きなさい、いい時代ばかりではないから備えをしなさい、備えに余裕があれば余剰資産の一部は再投資をしなさいという、そのまま企業理念として今でも通用しそうな教え。
相馬中村藩はこの教えを忠実に実行して成功した数少ない例である。廃藩置県になって報徳仕法は終了するのだが、その徳を慕う旧領民は尊徳一家を相馬に迎える。孫の尊親は旧制相馬中学の一回目の卒業生。

明治29年、尊親ら一行が北海道開拓の地として豊頃に入植。祖父尊徳の精神に基づきこの地の開拓を始めた。一世紀を経て今でも戸数90の二宮部落がしっかりと北海道の大地に生きている。案内してくれた総務課長の菅原さんによれば、団結が強く、精神的にも極めて安定した地域で、バブルに踊った家はなかったそうだ。

起債という、今は文句を言うことのできない将来の世代に、きっと君たちの為になるんだからと、手形を未来に送りつける方法。
どこまで分析して、返済可能かどうかという検証をしてきたのか。そもそも絶対に必要なんだという信念に基づいてのことだったのか。今でさえ返済に苦労しているというのに。

分度をわきまえないとしたら、相馬中村藩の場合、未来の子供達ばかりでなくご先祖にも済まない。

 

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