市長エッセー

宮澤賢治の思い

2003/07/04

詩人、小説家であったが、本来のライフワークは故郷花巻の営農指導だった。
どうしたら古里の人々が豊かに幸せに暮らせるのだろうか。凶作と飢えに苦しむ民衆とともに生きながら、土壌改良に取り組むかたわらの作品なのである。

結核に侵された彼は、昭和6年小康を得て創作活動のために上京。しかし11月再燃し、療養のために花巻に帰省する汽車のなかで書かれたらしい。消耗する体力の中、夢は古里の荒涼とした台地を胡蝶のようにひらひらと舞いながら、手元の手帳に綴ったのだろう。

発表する気はなかったらしい。この美しい詩は、旅支度の小折格子のなかに眠っていた。
昭和9年賢治の死後、遺品を整理していた家人が発見し、その後多くの日本人の心の支えとなった。

 東に病気の子供あれば 行って看病してやり
 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくともいいと言い
 北にけんかや訴訟があれば つまらないからやめろと言い

 ヒデリのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き
 みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず 苦にもされず
 そうゆうものに わたしはなりたい

雨ニモ負ケズの最後の部分であるが、私には、地方行政の精神をみごとに謳いあげた遺書のように思えてならない。
住民福祉とは、みんなが安心して幸せに暮らしてゆけることを意味する。首長や地方公務員がそのために働くのだとしたら、われわれは基本に帰らなくてはいけないと思う。

 

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