市長エッセー

加藤茂明さんへ

2013/08/17

今年度に入って、完成した災害公営住宅に移り住んだり、自力で住宅を再建して巣立っていった被災世帯が次々と抜けて、櫛の歯が欠けるように仮設住宅の空き部屋が目立つようになってきたが、2012年の年明けごろは原発避難地域からの入所者も含めて、1500世帯ぶん整備した相馬の仮設住宅はほぼ満室状態だった。

この時点での仮設住宅入居者に対する重要課題は、孤独死を出さないこと、健康状態の悪化を招かないこと、放射能によるリスクの発生を身体的にも精神的にも抑えること、そして子供たちのPTSD対策を徹底することだった。孤独死問題については徹底した対策の甲斐もあって、今日まで一人の孤独死も出さずに済んでいるが、残りの3課題は継続的な対策を行った上で後々の評価に委ねることになる。したがって対策本部としては「出来るだけの対策を、先手先手と打っておくべき」という心構えで臨まなくてはならなかった。
ゆえに被災者の健康診断や、栄養対策、空間放射線量と個人被ばく線量の測定と対策、それに臨床心理士による子どもたちへのきめ細かなケアを、相馬市が行政技術向上のため取得しているISO9001によるPDSAサイクルの手法を用いて、系統的に実行してゆくこととした。

ところが、可能な限りのデータを集めて対策を講じようとしたものの、インプレッションだけで対策に予算を投ずることになれば、せっかくの国際標準であるISO9001の精度管理に矛盾することになるので、政策化の根拠となる分析能力が必要だった。その点では東京大学や東京農大の専門家の方々の支援が無ければ、政策遂行は難しかったと思う。
解決すべき課題は山ほどあったが、福島県独自の問題である原発事故関連には特に頭を悩まされた。放射能による健康被害対策は、測定と評価と対応の繰り返しが必要だが、精度管理と分析能力が伴っていないと適切な対応が出来ないからである。

2012年の始め、南相馬市の仮設住宅に支援に入っているドクターから、仮設住宅の老人の骨折の発生が多いようだとの情報を得た我々は、仮設住宅入所者の骨粗鬆症の対策を探ることにした。この問題に関して東京都内で専門家たちと小会議をもった昨年の2月、骨代謝の国際的権威である生物学者、加藤茂明東大教授(当時)に電話を繋いでくれた。電話の向こうで快活にしゃべる彼は、「自分は東京で育ったが、父親が旧制相馬中学の出身で、自分も子供のころは松川浦や原釜海水浴場でよく遊んだ。相馬には親戚もたくさんいる、自分にとっての田舎のためにお役に立てれば嬉しい」

話が弾んで、その後都内で会った彼は、小柄で明るく、屈託のない表情に黒縁眼鏡をかけて、驚くほど腰の低い人だった。私は、この先生なら市役所の職員にも分かり易く教えてくれるだろうし、被災者にも好かれるだろうと思った。そこで加藤先生が相馬に来れる範囲で手伝って欲しいとお願いしたところ、びっくりするような返事が返ってきた。何でも彼の研究室直属の部下の論文盗用が発覚し、「主任教授の私は管理責任を取らなければならないので、3月初めに辞表を出してけじめをつけます。東大教授でなくなるが、それで迷惑でなければ是非、復興のためのデータ整理を手伝わせて欲しい」「確認しますが、盗用はあなたの論文での話ではないのでしょう?」「もちろんです。しかし私の教室で起きた不祥事ですから、監督責任は私にあります。辞職のあと、研究活動は自粛します。ですから相馬に行ける時間はたくさんあります」

彼の部下の論文盗用事件は、健康データ等の分析依頼を依頼する相馬市としては、全くの別次元の話だから、辞職後の4月以降に相馬市に通ってもらいデータ整理の仕事に従事してもらうことにした。

40人もいた彼の講座を閉鎖する事後処理のため、実際に相馬市に通って来れるようになったのは、8月の末ごろからだったが、6月から始まったホールボディカウンターの検査が軌道に乗り出した時期だったので、診療で忙しいドクター達に替わって機材を操作し、受付業務や被験者のお世話をするために急きょ雇用したスタッフたちの面倒もよく見てくれた。相馬市にとっても、担当病院にとっても内部被ばく調査のための手技やデータ入力・管理などは初めてのことだったので、彼の研究者としての経験は重宝だった。
「暇なときには南相馬の子どもたちの世話をしたいので、車を貸してくれないか?」という彼に、私は訪問看護ステーションで余っていた中古の軽自動車を用意したが、南相馬市の学習塾に飛び入りで子どものたちの勉強を見に行きたかったらしい。その活動は今日まで一年近く続いている。

7月25日。東京大学理学部の彼の元講座での、論文盗用の不祥事が全国紙の一面トップで報じられた。
「相馬市や病院に迷惑をかけるのではないか?」と心配する彼に、「人間として間違ったことをしたわけではないが、管理責任という意味では瑕疵があったことは否めないだろう。運が悪かったで済まされる話ではない。しかし、私はこの一年間の被災地に対するあなたの真摯な支援活動に心から感謝しているし、事件による多少の不都合を差し引いても、あなたの実直な人間性は十分なおつりがくる。だから、これからも協力を続けて欲しい」

彼は新聞報道の後も、「監督責任を果たせず申し訳なかった」とのコメント以外、一切の言い訳をしなかった。
多分、心の中では忸怩たる思いが渦巻いているに違いないと思う。特に自分の側近の部下に裏切られ、今までの実績と今後の生活の道を絶たれた悔しさは想像するに余りある。しかし私はこの一年半の付き合いのなかで、この事件に対する言い訳も、裏切った部下への恨み節も聞いたことがない。彼は健康管理のデータ管理や分析のスタッフとして極めて貴重な存在だが、私個人としては「他人のせいにしない。言い訳もしない」という彼の生き方に教えられる処のほうが大きかった。あの時、たまたま電話を繋いでもらったお蔭で、一生の友人を得ることが出来たと思っている。

どうですか加藤茂明さん。この際、思い切って相馬に骨を埋めて、私や相馬の人たちと、とことん付き合ってくれませんか?

 

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