市長エッセー

2003/04/25

一年前がんの告知を受けた彼は、摘出できないかもしれないとわかって手術を受けた。リスクはあったけれど、座して死を待つより精一杯の生きるための努力だった。

腫瘍はとれたものの、やがて再発。
抗がん剤の投与を受けながら、彼は何事もなかったかのように振舞った。会社を息子にまかせ、多分自分がいなくなった後の練習のつもりだったのだろう。
一日ゝゝやせ細ってゆく自分の腕や足をさすりながら、快活に、堂々と、訪ねてくる人の相談に応じ、他人のために憂い、喜び、生き生きと暮らした。

やがて食べることも自分で歩くこともままならなくなった仙台の病院のベッドの上で、相馬の桜が観たいと言う。
あと十日もすれば咲くだろうから、自分の家に桜を観に帰りたいという。
結果はどうなろうとも、私も家族も主治医も、彼の最後の望みをかなえてあげることが一番の治療だと思った。

桜を観て自宅に帰った彼は友人たちを呼んで宴会をはじめた。
立てない体を背もたれにあずけて、彼の青春時代の歌を唄った。みんなが別れを惜しみ、酒を飲んで、唄い、桜の一夜を慈しんだ。
翌日、朝から出血。急いで病院に帰したが、そのまま血圧低下が続き、他界。
知らせを聞いた朝、馬稜公園のお堀にうっすらと散り始めた桜。

りっぱな最後だった。一年間死と向き合って臆することなく、乱れることなく、堂々と散っていった。
無二の友 享年五十七歳。

 

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