相馬野馬追

起源と沿革

行事内容

起源と沿革

相馬氏は、重胤の代の元亨3年(1323)に、先に師常が奥州合戦の賞として源頼朝から与えられていた奥州行方郡(現在の南相馬市鹿島区・原町区・小高区)に住むようになり、野馬追行事もこの地に引き継がれました。

奥州への移住から明治維新まで、相馬氏は武を練ることと氏神妙見への信仰を顕かにする祭礼行事として、野馬追祭を行ってきました。しかし、時代が変わり、明治5年に野馬原の野馬がすべて狩り獲られ、旧来の野馬追はここに消滅してしまいました。

その後、相馬三妙見のひとつである太田神社(南相馬市原町区)が中心となって野馬追祭の再興が図られ、明治11年(1878)から、正式な内務省の許可を得た中村・太田・小高の三社合同の野馬追が始まりました。これが今日の相馬野馬追の原型となりました。昭和53年5月には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

現在は、相馬野馬追執行委員会(委員長=南相馬市長)を中心に、新地町、相馬市、南相馬市、飯舘村、浪江町、双葉町、大熊町が支援する祭りとなっています。

写真:相馬野馬追絵図(江戸時代)