史跡中村城跡

築城されるまで

築城とその後

中村城下地図

築城されるまで

下総国からの移住

下総国相馬郡を所領していた相馬氏は、文治5年(1189)源頼朝の奥州平定に従軍し、その功績によって奥州行方郡を与えられました。鎌倉時代末に行方郡に移住し、南北朝期以降の動乱のなか、隣接する標葉郡と宇多郡にも勢力を伸ばし領主権を確立していきます。

奥州で最初の居住地となったのは、行方郡太田村(南相馬市原町区)の別所の館でした。約3年後には、そこから南に位置する小高村(南相馬市小高区)に移り、以後3世紀にわたり相馬氏の居城となる小高城を築きました。この間に勢力を広げた相馬氏は、16世紀半ばから半世紀にわたって戦を続けてきた奥州の大藩伊達氏に備えるため、慶長16年に中央に便利な小高から、相馬藩領の北端に近い中村(相馬市中村)の地に築城し移り住みました。これが相馬氏の居城としての中村城の始まりです。

中村城が築かれた地

中村城が築かれた地は、相馬氏が居城を移す前からも城館として利用されていました。古くは、延暦20年(801)坂上田村麻呂の東夷征伐のとき利用したとされ、中世には、源頼朝が奥州平定の帰途、ここの館に宿営したと伝えられています。南北朝期以降もこの地に勢力を持つ者に利用され、城郭として形づくられてきました。

慶長16年の築城は、7月からはじまりその年の12月には小高城から移っています。約半年でほぼ完成したいうこの築城工事は、それまでの城郭を元に再整備・補強・拡張を行ったものといえます。